離婚したが旧姓にもどさなかった母には、入るべき「●●家の墓」というのはない。

以前は「お墓なんかいらないわ」と言っていたのに、ちかごろ「なにかしるしになるものがあるといいわね」と言い出した。

調べてみると「NPO法人エンディングセンター」というところが、それほど遠くない高槻の山に個人用の埋葬地を運営していると知った。

※NPO法人エンディングセンターのHPはこちら

秋晴れの気持ちの良い朝、シェアカーを借りてハイキングの人々を追い越してくねくねと山道を登ってゆく。

眺めの良い芝生がひろがっていた。

↑写真の上に見えているお墓は神峰山寺(かぶさんじ)のもの。手前のすっきりした場所が「桜葬」の敷地。ひとつひとつの四角が一人または二人用の場所。好きな言葉を入れることができるし、名前さえ入れなくてもかまわない。代々引き継がずNPO法人が管理してくれている。

 

墓は、そこに故人がいるわけではないと思っている。

いつか、その存在を思い出したくなった人が訪れる場所。

●●家を守るために個人の幸せを犠牲にする社会は間違っている。

墓や土地や財産を守るために●●家に養子を迎えなくてはならない?

個人が自分の幸せを追求するためにこそ、家や家族があるのではないかしらん。