因島に入ると「除虫菊」の看板をたくさんみかけるようになった。
まったく予備知識がなかったが、調べてみると日本ではじめて除虫菊の栽培をはじめたのがこのあたりであることを知った。
除虫菊は地中海沿岸・クロアチアのダルマツィア地域を原産地とする。
有名な観光地ドゥブロブニクのあるあたりだ。
あのあたりは島が多く、瀬戸内海とている。
※ドゥブロブニクのブログこちらに書いています。除虫菊にはちっとも触れておりませんが(^.^)
以下は、因島の歴史を研究しておられる柏原林造さんより教えていただきました
「まず福沢諭吉先生から話さないといけないのです。
和歌山の有田のミカン農家の五男の上山氏が慶應で学ぶのですが、病気で退学して郷里へ帰ります。
そこへ福沢先生からアメリカから種苗交換に来られた人を紹介されます。※小松注:サンフランシスコで植物輸入会社を営むH.E.アモア氏
アモア氏が持ってきた中にあった除虫菊を上山氏が和歌山で栽培。
もっと栽培に適した地方はないかと探訪中、尾道駅で列車が止まった時「ここは良さそうだと下車」。
それから島々を伝わり因島へも来る。」
この上山英一郎氏がキンチョーの創業者。なるほど(^.^)
因島で教員をしていた村上官兵衛という人物は、除虫菊生産者が買い付け業者に買いたたかれないために販売組合をつくった。島に農業試験場を誘致し、それが今のフラワーセンターになった。
除虫菊栽培はこの地域の主要農産物となり、安価な化学製品が普及する以前の戦前までは、日本は世界一の除虫菊成分の輸出国だったこともあだった。
フラワーセンターがホームページでもまったくそういう歴史に言及していないのは少々残念なことであります。