「人生をふりかえるホテル」(と小松が勝手に名づけたホテル)をはじめ、快適なリゾートを何軒も設計したジェフリー・バワ自身がどんな家に住んでいたのか見てみたかった。
その家はコロンボの中心部に残るビルの谷間のような地区にある。ちいさな通りの11番地にあるので「ナンバー・イレブン」と呼ばれる。
どこから見ても豪邸などではない。植民地時代に普通の市民が住んだ四軒長屋を改築している。
入り口↓
すぐにガレージになっていて巨大なロールスロイスとベントレーが置かれている
明るくはあるが、太陽がさんさんと降り注ぐ大きな窓はない。すべて間接自然光。
都会の真ん中の小さな長屋改造住宅には、バワがはじめて発想した「インフィニティ・プール」もない。孔雀の遊ぶ庭もない。インド洋の波音もきこえてこない。 バワは1959年から2003年までここに住んで、没した。
敷地が狭いことは居住空間が快適でないということではない。
今あなたの住んでいる家が『狭くて居心地悪い』と感じるとしたら、それは自分自身のアイデアが足りないだけなのだと、バワに諭されている気がした。それほど「ナンバー・イレブン」は狭い。狭い面積を迷宮のように巧みに区画して、快適な住空間になっている。
ジェフリー・バワがここに住み始めたのは、建築家としてスリランカに帰国して二年後のこと。
三十代のおわりで、まだ自分の事務所をもてない駆け出しの建築家であった。
十五歳年長でバワと同じ裕福な植民地エリートだったハロルド・ピエリスHarold Pierisが、所有している四軒長屋のひとつにバワを住まわせた。ハロルド自身がアートも手掛ける人物だったので若き才能を援助しようとおもったのだろう。
植民地時代の長屋はウナギの寝床のように細長い平屋。
その一軒を改造して、小さなリビングと窓のないベッドルーム、男性の召使いミゲルが調理する最低限のかまどキッチン、それだけでいっぱいとなった。
二年後、となりに住んでいた社会主義者のジャーナリスト(彼もハロルドの援助を受けていた)が出るとそこを手に入れ、壁をぶち抜いてひとつの家にする。
現在、バワの所有した巨大なロールスロイスが置かれている入り口部分がそこになる。
※バワは生涯に四台のロールスロイスを所有した。ここで見られるのはイギリスから持ち帰ったもの
十年後、残りの二軒も手に入れたバワは、四軒をひとつにまとめて、本格的に改築していった。
四軒長屋の前の小道は、家の中をまっすぐに通っている↓
向こうにみえる羽を広げたフクロウは「カンダラマ」にもあったラキ・セナナヤケの作品↓
天井に光の入り口をあけてあるのはこの像のため、ですよね。
駐車場の上階部分を三階建てにして、ル・コルビジェのヴィラをイメージしたベランダを出現させた。
ギリシャの修道院を思わせる白い階段↓
これをのぼると風吹くテラスに出る
ここで気心の知れた少人数で過ごした夕暮れのひと時もあっただろう。
大都会となったコロンボに残るビルの谷間を見晴らせる↓おお、向こうに見えるのは中国が建設した蓮型のタワー↓
このテラスのすぐ下の二階部分は広いゲストルーム。
そこは今でも一組限定のホテルとして宿泊することができる。
我々が屋上から降りてくるとき、偶然ドアが開いてその日の滞在客が出てきた。ちらりと見えたゲストルームは青い壁で天井が高く、開放的な空間に見えた。
乗り出すと見える隣の家もバワが改築したのだそうだ↓お馴染みの「光の井戸」が開いているのが見えますね↓このスタイルはしかしバワがスリランカの伝統的な建築をより洗練させて使っているものになる↓
友人の集まる屋上テラス。広いゲストルーム。
これらの場所を見て、小松のバワにたいするイメージが少し変わった。読んでいた本に「孤独な思考者」というような形容をされているので、他人とかかわりにくい気難しい変人かと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
多くの友人がやってきて、時には何週間も逗留する。彼らの残していった「アート」が、この住居のいたるところにみられる。その数はとても多い。バワは友人たちがくれたものをみんな飾っておきたい、優しい人だったのかもしれない。
かつて四軒長屋をつないでいた路地は、家を貫くほのぐらい直線として残されている。
煌々とした日光はけっして射し込まないが、家の中に五か所もある「光の井戸」と呼ばれる天井吹き抜け庭から、間接的な自然光がおちてくる。これがバワの好んだ光のありかただったのだろう。
迷宮のようではあるが、「光の井戸」を介して自然の風が家全体をながれてゆく。
この家はエアコンを拒否している。「光の井戸」と居住スペースに明確な仕切りはなく、エアコンを使うための密閉感と真逆な構造なのだ。
インド洋の波音も聞こえない、「インフィニティ・プール」もない、都会の真ん中に暮らしながらも、バワは自然とのかかわりを大事に思っていた。エアコンのために締め切ってしまっては鳥のさえずりは聞こえない、朝夕の風の流れは届かなくなってしまう。
1998年脳梗塞で倒れたバワは自由に歩けなくなり、2003年に亡くなるまでの多くの時間をこの「迷宮の王国」(現地解説書の表現)で過ごした。
ここは「ライトハウス」や「カンダラマ」両ホテルのような透徹した建築哲学の結晶とは違う。
しかし、二つのホテルに今も置かれている、老齢に達したバワが座って思考していた椅子と同じ雰囲気が感じられる。
自由に動かせなくなった大きな身体をこの迷宮によこたえたバワ(身長190センチちかかった)。
都会の真ん中にあるこの小さな家にあっても、遠く「ライトハウス」で聴くインド洋の波音や、「カンダラマ」の夜明け前に聞こえてくる鳥のさえずりを、思い出すことができたにちがいない。