伊丹空港からモノレールに乗り、万博記念公園駅で「よみがえれ!シーボルトの日本博物館展」を開催しているのを見て、とっさに途中下車した。

 

この展覧会、「そのうち見よう」と東京で見逃していた。千葉、名古屋、長崎を回覧して、ここ大阪が最後の開催地。出会えて幸運だ

 

駅から民族博物館までは少し距離がある。小学校の時四回訪れた万博会場はすっかり別の場所になっている。太陽の塔にひさしぶりに間近で対面した。

じとじと湿気があるが、幸い雨は止んでいる。駅から十分ほど歩いて汗ばんだころ博物館の入り口に到着した。

 

会場には数えられるほどしか人がいない。

どちらかというと地味な展覧会になるのかもしれない。

しかし、内容は濃かった。

 

シーボルトが出島で医者をやっていた事。そこでお滝さんといっしょになってイネという女の子がうまれたこと。彼女が日本初の女医になったことは、わりに知られている。

しかし、彼が収集した何千点もの品々を、ライデン、アムステルダム、ヴュルツブルグ、ミュンヘンで「日本博物館」と称して一般公開していた事はにはほとんど注目されていない。

 

今回の展覧会はシーボルトが二度目の来日の時に収集し、故国ドイツへ持ち帰り、ミュンヘンの「五大陸博物館」に収蔵されていた六千点にも及ぶ品々を、日本の研究者が六年にわたり丹念に研究することから可能になったものだった。

シーボルトが当時公開していた「博物館」の様子を再現しようと試みているから、展覧会がこのタイトルになったのか。なぁるほど。

 

展示されていた各品々について、たくさん思うところはあったが、ここでは言及しない。

ただ、当時の地図を見て、小松がこの9月18日から《手造の旅》訪れる五島列島周辺が目についた。 シーボルトは日本の捕鯨文化にも興味を持ち、捕鯨の図絵も収集していた。この図絵だけ写真がほしかったのですが、日本の博物館は当然撮影禁止。はがきもこんなモノはありません。

 

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一回目の滞在の帰国時、地図の不法持ち出しを咎められ、日本を追放されてオランダのライデンに居を定めたシーボルトは、ライデンの小さな邸宅で「日本展示」を公開していた。

以前、二度ほど訪れたことはあったが、この10月にあの場所を再訪することになっている。今度は、また違った目でみられるのを楽しみにしている。