「哀れなジョセフィーヌ、彼女なしにはここにはどうしても住めそうもない。いつも彼女がひょいと小径から出てきて、あんなにも好きだった花々を摘むのが目に見えるようだ。」
(「Vie de Napoleon」ナポレオン書簡集、アンドレ・マルロー編 朝日新聞社刊より)

ほんとうに偶然なのだが、小松が訪れた今日は、ちょうど二百年前にナポレオンがこの家に居てこの手紙を書いていた日だった。帰国後にあらためて資料を調べていてその事に気付いた。
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《手造の旅》フランスの旅を終える今日、最後に行くことにしたのはナポレオンが最も幸せな時代を過ごしていた(と小松が思っている)マルメゾン荘。

ジョセフィーヌが気に入り、離婚した後も住み続け、そこで亡くなった家。
そう、ここは城とか宮廷とかではなく、ナポレオンの「家」だった場所。

小規模な入れ替え展示が三階で行われているのだが、今回は「セントヘレナ島への道」(意訳)という内容だった。1815年6月18日にワーテルローの戦いの敗れ、イギリスによって大西洋の孤島セントヘレナに送られ、10月17日に到着した。その間の彼の足跡が細かく説明されていた。

下の地図は、ワーテルローの敗走から一週間後、マルメゾン滞在からフランス国内を港まで移動していったルート。マルメゾン荘には四日間も滞在していたことがわかる。
1815malmaison

マルメゾン荘の主ジョセフィーヌは前年にすでに亡くなり、娘(前夫との)がナポレオンの弟と結婚して暮らしていた。義理の娘オルタンスをとても可愛がっていたナポレオンは、前日にパリから手紙を送っている。

オルタンスの息子ルイ・ナポレオンは当時六歳。この将来のナポレオン三世は、この時最後に会っただろう叔父・あるいは祖父の事を覚えていただろうか。
josephine