ナポレオンがフランスに残した最大の記念碑であるこの凱旋門。
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ここに刻まれた「ラ・マルセイエーズ」という彫刻の作者=フランソワ・リュードはナポレオンの崇拝者だった。

彼が生まれたのは1784年、ブルゴーニュ地方ディジョン。ルイ16世とマリー・アントワネットはすでに処刑され、フランス革命も第二段階に入っていた時代。

物心ついた頃にちょうどナポレオンが登場し、フランス救国の英雄として連戦連勝していた。
少年時代にどんな環境で育ったかというのは、後々まで大きな影響をあたえずにはおかない。

十六歳まで父の商売を手伝っていたが、地元で彫刻をまなびはじめた。
パリに出たのは1809年、すでにナポレオンは皇帝になっており、雲の上の人だった。
1812年に芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞し、ローマに留学。

つまり、ナポレオン本人と直接には会っていない(と思われる)。

その後、ブリュッセルに住む。
ナポレオン失脚後ブリュッセルに亡命していた画家ダヴィッド(「ナポレオンの戴冠」を画いた)にも会っている。

当時六十才半ばだったダヴィッドは、二十代の新進気鋭の彫刻家に、ナポレオンの話をたくさん聞かせたことだろう。

凱旋門が完成したのはナポレオンの死後。
1833年から36年に製作され、五十代半ばのリュードがこの「ラ・マルセイエーズ」の彫刻をてがけたのだった。

1840年にナポレオンの遺骸が帰国した時には、その下で一晩安置されている。