今回の《手造の旅》のポイントのひとつが大聖堂の夜景プロジェクトマッピング。
ルーアンとシャルトルの二ヶ所で見て、同じ技術を使いながらその味わいの違いにはっきり気づいた。
下はシャルトルのものchartre_night
ルーアンのものは⇒こちらに載せています

ルーアンが映画のようにダイナミックな(時にグロテスクな)表現なのに対して、シャルトルはかつてのスライドのようなシンプルさの延長線上にあるように思えた。

同じ技術を使っていても、表現者によって出来上がるものがずいぶんちがうものだ。

★それでは、「表現者」とは、この場合誰を指すのだろう?
マッピングを制作する人の事か?
直接的にはそうであっても、ルーアンとシャルトルの「表現」の差異を出現させたのは、最終的に「この映像でOK」と認可する人の違いではないだろうか。

どんなに良い作品を作り出そうとも、それに対して金銭的な面も含めたOKを出す人に理解がなくては、表現活動は成立しないのである。