本日
5月5日
朝10時
21歳と10ヶ月
みゅうさん
永い永い眠りにつきました。
みゅうさんファンの皆様、
長い間、
応援ありがとうございました。
今は病院から家に帰って来て、
みゅうさんと弟と、
お母さんの帰りを待っています。
眠っているみたいです。
やっぱり、
かわいくてかわいくて、
仕方ありません。
今も撫でながら、
ブログを書いています。
皆さんへのご報告というよりは、
文章に書くことで、
わたしの心の整理をさせて貰うかんじです。
不快に思う方がいるかもしれないので、
この先は「いいよ」という方だけ、
読んでください。
亡くなる時は、
家族みんながいる時だと、
確信してましたが、
本当にそうなりました。
たまたま弟が来て、
たまたまお母さんが仕事がお休みだった、
4日の昨日から、
少し吐血して、
意識レベルが下がり、
容体が急変しました。
5日朝意識はありませんでしたが、
反応はあって、
お母さんが仕事に行く前、
弟と3人で同時に撫でました。
すると、意識がないのに、
ゴロゴロと喉を鳴らしました。
みゅうさんのゴロゴロは、
年いってからは全く聞いてなかったので、
本当にびっくりしました。
お母さんが仕事に行ってから、
動物病院に向かうタクシーの中で、
大量に吐血しました。
お母さんに辛いところを見せないために頑張ってたんだと思いました。
病院の待合室から呼ばれて、
処置室に行くと、
呼吸器をつけて横たわっていました。
意識も、反応もありませんでした。
「自発呼吸が少し戻りましたが、
貧血で危ない。
いつ亡くなってもおかしくない。」
と、ゆわれました。
「呼吸器を付けたまま、
復活させるために治療するか」
「呼吸器を外して家に連れて帰るか」
選択を迫られました。
どっちも嫌でした。
これ以上苦しませるのも、
亡くなる覚悟で呼吸器を外すことも。
すると、
みゅうさんの意識がいきなり戻り、
「呼吸器を外して!取って取って!」
とゆう動作をしたんです。
先生もびっくりして、
慌てて管を抜くと、
穏やかに呼吸しはじめました。
どっちにも対応出来るように、
病院で看取らせて欲しいとお願いして、
酸素室に入れて貰いました。
わたしと弟が、
どらちらも選ばなくていいように、
みゅうさんが自分で選んだんだと思いました。
お母さんが苦しむ姿を見ないように、
わたしたちが罪悪感にとらわれないように、
最期まで「みゅうさん」でした。
酸素室に入れて15分くらい経って、
みゅうさんは息を引き取りました。
意識はなかったので、
苦しくはなかったと思ってます。
弟と2人で最期を看取りました。
心残りは、
酸素室に入れずに、
抱いて逝かせてあげればよかったことです。
でもそれだと苦しかったのかな…
でも抱いて逝かせてあげたかった。
悲しくてさみしくて本当に辛い。
嘘みたいで信じられない。
でもそれと同じくらい、
もう苦しまなくていいことに、
ほっとしてる。
でも。
やっぱりさみしい。
かなしい。
つらい。
くるしい。
が、上だ。
涙が止まらない。
生きていて欲しかった。
死なないと思ってた。
抱きしめて逝かせてあげたかった。
死んでほしくなかった。
いないことが嫌でたまらない。
全部いやだ。
全部全部いや。
みゅうさん、
すごく寂しいよ。
いやだよ。
寂しいよ。
これから先も一緒にいて欲しい。
まだぐるぐるしていて、
ありがとうとか、
またねとか、
言えない。
ごめんねみゅうさん。
涙が止まる日が来るんだろうか。
ただ、
みゅうさんが最期まで、
「みゅうさん」だったこと。
みんな知っててほしい。
すごい猫だったの。
わたし2番目のすごい自慢の弟だったの。