2017年11月28日の殿堂入りをお祝いするパーティーでお目にかかり、お話した星野監督は、いつも通り明るく大きく、豪快でした。

 

 

栄光の軌跡が語られたステージ上には、ともに戦った盟友が駆けつけ、楽天イーグルスの優勝チームのメンバーが集い、田中将大投手と楽しげに話す姿やお孫さんから花束を手渡され、並んで微笑む姿がありました。弾けるような笑顔の星野監督が、今も鮮明に思い出されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨年、横浜でお食事をご一緒した際に話してくださった監督ご自身のバイオグラフィーは、まさに「燃える男」の証明でした。


 

父の顔を知らない知らない子供時代のこと、女手一つで育ててくださったお母様への想い、生涯を賭ける野球との出会い、明治大学野球部時代の島岡吉郎監督とのエピソード、中日ドラゴンズのエース時代、中日監督としての激闘の日々、壮絶な重圧の中で勝ち取った阪神タイガースの優勝、やはり「俺には野球しかない」と挑んだ東北楽天イーグルス監督の日々。


次から次へと言葉になる出来事に言葉を失う私に、星野監督は、こう仰いました。


「俺のことを書くなら、もっと話すよ」と。

 


 

 

またすぐにお目にかかり、話の続きをしてくださるとばかり思っていました。
星野監督、もう一度お会いして、もっともっとお話を伺いたかったです。

 

 

心から御冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

この原稿は、noteからの転載です。

さようなら、星野仙一監督|小松 成美|note https://note.mu/komatsunarumi/n/nb6392da9c2b7?creator_urlname=komatsunarumi