イタリアでの看護は酷いものでした。

点滴の最中
上腕より前腕の太さが太くなるくらい
腫れ上がっていたので
漏れている!と
看護師さんに伝えると、

チラッと見て
「大丈夫」と言って
向こうへ行ってしまい、放置。

愕然としました。


先生と話したいと
オーダーしても
「今日は来ない」
翌日も「今日は来ない」。

かと思えば
これから検査すると言って
がたいのいい女性2人が
小柄な母を放り投げるように
ベッド移乗させ
母はバウンドする勢い。

蚊の鳴くような声で
「殺される…」と
私に訴えました。


検査をしても結果を伝えるでもなく
放ったらかし。
いつ判る?と聞いても
わからない。

ドクターも来るのは数日後と言われ、

退院させて欲しいと
お願いしても
許可されず

看護師、ヘルパーに英語で話しかけても
無視されて

カード付帯の保険会社の方が
ナースステーションに電話をかけても
英語を発した途端切られる始末。


地獄のような日々。

母は治るどころか
立てなくなって
悪化の一途を辿っていました。

そりゃそうです。

てんかんでもないのに
動きが緩慢になるてんかんの薬を
毎日投与されているのですから。

私は母の足を曲げ伸ばしして動かしたり
手をマッサージしたり
そんなことしか出来ませんでした。


10日を過ぎた頃、
私自身
どうすることもできないストレスが爆発。
いつものように
とりあってもらえなかった瞬間、
私はナースステーション前で泣き叫び
号泣するというところまで
追い詰められました。

一人だけいた黒人のヘルパーから
「あなたの気持ちはわかる。
私はアフリカから来たから」と同情され
観光で来ただけでは決してわからない
人種差別の現実も思い知りました。

今もコロナ感染で
東洋人が差別されているという
ニュースを聞くと、
そうだろうなあと思います。


十分な医療を受けられない上に
帰国の許可も出ない。
初日は楽しく運河を眺めていたけれど
イタリアなんかに来るんじゃなかったと
病室の窓から外を眺め
激しく後悔したのでした。



つづく