「メタ新世界」は看寿賞を受賞しました。当然でしょう。

 

ところで、私には疑問があります。昭一さんが詰将棋から遠ざかったのには理由があったと思っているのですが、もし何の理由もなく止めたとして、何で「詰将棋を棄てた」などとキビシイ言われ方をしなければならないのでしょうか。

詰将棋なんぞ創っても、極一部のマニアにしか理解出来ないものでもあるのだし、一銭の特にもならないのです。詰将棋に興味の全くない私には、そんなものを創っている時間など、人生の時間の浪費にすら思えます。マニアは自分が熱心にやっていること、それが全てだと思い勝ちです。

少なくとも昭一さんは、早くからそのことに気が付いていたと思っています。

「詰将棋ばっかりやっとったら世間が狭なるやろ」

そういう発言を聞いた記憶があります。

 

時が経ち、私の受験が近くなると、一部の人を除いて私のマンションを訪れる人は極端に少なくなりました。訪れなくなった人の中に昭一さんが入っています。この頃から段々と昭一さんと疎遠になっていきます。

 

私は神戸の大学に受かり、通い始めました。大学生になると、当然のことながら大学中心の生活になります。仲間も大学生になります。私にはそのことが非常に物足りなかったのです。私のマンションを訪れてくれた方々の多くは殆ど天才と思われたからです。御ままごと・・・大学生活はそんな感じでスタートを切りました。

 

そんな折、昭一さんから連絡を頂きます。最寄りの駅の近くにある"CORNER"という喫茶店で会おうというものでした。私は嬉々として飛んで行きましたが、何故、この時私を呼び出したのかは不明です。

"CORNER"の二階で昭一さんと向かい合いました。"CORNER"は吹き抜けになっていて、二階から階下が見下ろせました。私は階下を見下ろしながら昭一さんの世間話をボンヤリと聞いていました。

「ああ、昭一さんも会社員の生活で流されつつあるその澱を吐き出したいんだな」と思いました。

いくらか時間が経過したあと、昭一さんはこう言いました。

「自分も(昭一さんのことではなく私を指します。関西独特の言い方です)、もう後戻り出来へんところまで来てんねんで」

ドキリとしました。

私は兎も角、昭一さんはそうかもしれないと思ったからです。昭一さんは重大な疾病を抱えていました。私はそのことを早くから知っていましたが、本人から聞いたのか他の誰かから聞いたのかは語りません。

 

「自分も、もう後戻り出来へんところまで来てんねんで」

私は階下で店員が行ったり来たりするのを見ながら無表情でいるよりありませんでした。私が後戻り出来るかどうかは別にして、昭一さんは後戻り出来ないところまで来てしまった・・・?

それとも聡明な昭一さんのことですから、やがて訪れるその予後を予見しての発言なのでしょうか・・・?(つづく)