遠い昔に昭一さんが作った941手詰の詰将棋のタイトルを”メタ新世界”としたところに、昭一さんのセンスの良さを感じます。”超新世界”などとしないところが上手いと思います。
ところでそんなセンスの良い昭一さんではありましたが、細かいところに目の行き届く、今思い返しますと心優しき好青年でありました。”メタ新世界”どころか、ご本人は”メタアナログ”人間でありました。そのエピソードを少し紹介したいと思います。
当時、昭一さんが主宰されていた詰将棋の集まりがありました。詰将棋には興味のない私が何故、そのことを知っていたのか、SNSはおろか携帯電話もない時代です。思えば、今と違って検索などという言葉を使うこともありませんので「将棋」の「将」の字が新聞であれ雑誌であれ、目に入ればパブロフの犬のように涎を垂らしながら思い切り反応して、日時は目に焼き付いていたのでしょう。将棋の集まりなんて殆どない時代でしたので・・・。
その日、私は何の用か思い出せませんが、何かあり、参加出来なかったのです。尤も、詰将棋の会に喜んで参加することは無かったでしょう。
そして、何があったのかこれもまた思い出せないのですが、打ちひしがれてフラフラと昭一さんの主催する詰将棋の会へ足を運んでいました。夕刻近くだったと記憶しています。十代ですから、私にも多感な時代があったのです。
会場へ入ると疎らに人が盤に向かって何かごちゃごちゃやっていました。私が会費を払おうとすると昭一さんが「もう終わりやから」と言ってお受け取りにならなかったのを覚えています。
ドスッと部屋の後ろに座ると、昭一さんが近づいて来て、
「何にも食うてないんやろ」
「はあ」
と私は気のない返事をしました。
昭一さんは白い紙の上に花梨等だのポテトチップスだのクッキーだの、恐らくはこの会のおやつをドッサリ持ってきて下さいました。
「何か食うとかんと毒やで」
と仰いました。
この人、分かってるんや・・・と思いました。この日を境に私が昭一さんを見る目は変わりました。詰将棋作家としてではなく、ひとりの人間として、です。
それにしても・・・乾きモンばっかりやな(持ってきて下さったお菓子が)と思いながら、遠くで詰将棋を検討する昭一さんの手つきを眺めていました。昭一さんはゴツイ手に似つかわしくない、ペチャッペッチャッという手つきで駒を動かします。昔、不良を一撃でのしたゴツイ拳を持っているのに手つきは可愛いんやなとボンヤリしたアタマで思っていました。(つづく)