出生前診断について自分の気持ちを書いたところ、アクセス数が増え、様々な意見がありました。














様々な意見があるのも承知の上であり、
人が皆同じ意見だなんて少しも思っていません。
分かっているから今は受け止めきれないので自分とは違う考えの人の意見は見ないようにしています。




同じ気持ちになれと思っているわけでも、
理解して欲しいと思っているわけでもありません。






でも、様々な意見によって世の中が少しだけ変われば良いのになとは感じています。






我が家には先に産まれたお兄ちゃんがいる。
寝たきりの子供を迎える事は、将来お兄ちゃんに面倒を見てもらう可能性がある。
お兄ちゃんは選択したくなかったとしても、
もしかしたらそれを強いる事になる
かもしれない。
選択できる時期にある私たちは、それを受け入れられるのか?






ブログを書き始めた時に頂いたコメントでもお兄ちゃんの事を主に考えて下した結論ですね。
と言われました。







こまさが第一子だったとしたら、
もしかしたら周りの反対を押し切ってでも、
結果的に一人になってしまったとしても、
こまさと生活する道を選んだかもしれない。







でも、我が家には先に産まれたお兄ちゃんがいる。
お兄ちゃんにとっては私は、唯一のお母さん。
お兄ちゃんがいる以上はこまさのためだけに生きるなんて難しい。






でも、それって本当に
先に産まれた子供のため?
こまさ自身のため?
家族のため?
社会のため?






いえ、こまさと離れたくないと一番感じているはずの、自分のためでしょう。







わたしおかあさんだから
って自分の人生を全て捧げられるのかな?
なんて思ったりもしました。






ただ、その立場になって初めて知る事。
産まれたこまさを抱っこして、
こまさのママになって初めて、
『わたしこまさのお母さんだから、こまさのためならば何でも我慢できたのかもしれない。』
そう思ったのも事実です。






自分で生きようと肩で息をして頑張っている可愛い小さな息子。
お兄ちゃんにそっくりで、パパにも、自分にもそっくり。
受精卵から少し育ったくらいの胎児ではなく、
思ったよりもしっかり人間で、
紛れもなく家族の一員であると一目でわかるほど。
本当に本当に可愛い息子。
今なら引き返せないか、何度も何度も後悔して自分を責めました。








でも、引き返すことが出来ないという事実。





浅はかな考えと決断だったかもしれない。
何度も何度も自分を責めます。
でも結局考えるのは将来の事。
目の前の事よりも、先の事です。






日本は生きやすい国でしょうか?
普通の基準は難しいけれど、何となく普通でないと生きにくいような雰囲気。
ちょっとした事でも自分と意見の相違があれば、意見ではなく攻撃。
少し人と違う事をすると偏見の目で見られる。






そもそも生きやすい国だったら、先の事をあれこれ考えなくても良い程に幸せな国ならば、同じような決断を下す人がもっと少ないのではないでしょうか。






何と言われようとこれが私たちの現実。
綺麗事だけで生活なんて出来ません。
何かを責めても終わってしまったことは一つとして変わらない。
それならば他にやるべき事がいっぱいあるのではないか。








最近話題になった
あたしおかあさんだから
の歌詞を見て、
共感出来なかった方と、
自分も同じ気持ちと思えた方と。
きっとそれこそ同じ立場になって、
その気持ちになって初めて見方が変わるんだ。
それを
美徳と感じるか、
苦痛と感じるか、
人それぞれ。






今回の事はもちろん責めてくる人はたくさんいると思います。
だから今回の事は
友達にも言わない。
親戚にも言わない。







責める事が悪とは思わない。
自分を責めているのは他人ではなく、
自分が一番自分を責めているのだから。





経験したり、見聞きする事によって何かが変わる。
そう思い、言葉にできない思いを、人には言えない思いを書き留める。







自分と同じように自分の選択が正しかったのかと、自分を責めている方の言葉になれるように。
何かを変えたいと動く人が現れてくれるように。