長年頭の隅にずっとあって、事あるごとに私を奮起させたり、戒めたり、重荷だったり・・・・。
そんなものを辞めました。
4月末に息子らも巣立って、ほぼ音信不通なんだけど、それがどんなにいいことなのか。
考えました。
私も高校出て一人暮らし(女子寮)して、今ほど連絡手段も無かったっていうのもあるんだろうけど、1週間に1度くらいしか親に連絡もしませんでした。
寮にあった赤電話(←懐かし!!)は10円玉専用で、少ししてから100円玉の仕えるものが導入されて・・・・。
女子寮に居るってことはみんな遠距離電話なのよね。
だから10円玉をものすごい量持って、順番待ちのソファに座ってるの。
またしばらくしたらテレホンカード(これももう死語)が出来たからそれに対応する電話が設置されて、電話をかけるのが楽になりました。
でも、それでも1週間に1度かな?
外からうちの寮にかけるのは至難の業。
すごいチケット取るように、かけ続けないとダメ。
1台しかない上に、一度かかってきたら長電話。
一応10分以内に・・・とかなってるんだけど、お互いに連絡手段を持たないカップルだったりすると、みんな気持ちがわかるから文句も言わず・・・・。
で、うちの息子たちも、ほぼ何も言ってきません。
女の子だったらまだ何かあるかもしれないけど、男の子だもんね~ある方が気持ち悪いかも。
で、私が親と話してて、こうなのよ~、でも元気にやってイケてるってことだからいいやって思ったのよ。って言ったら、母が
「ね?元気でさえ居てくれたらそれでいいって思うでしょ?」って。
「ほんとだね~」って言いながら療養中の我が身を思い、申し訳なくなったり・・・・。
私の気持ちの中にあるあるものって言うのは、もう難しくなってしまったけど、親に何かプレゼントしたい!!って激しく思ってるのよ。
そりゃ働き始めて最初のお給料では結構高価なものをプレザントしたし、その年に毎日貯金して、10万円ずつの定額貯金通帳を渡したのね。
当時、初任給が95500円。忘れもしないこの数列。
一人暮らしだからそんなに余裕はないけど、脳みそがまだ田舎者だからできたんだろうね。
派手な生活を知らなかったから。
次の年には妹に10万円の定額貯金通帳を。
卒業お祝いとして。
自分ではがんばったな~だったけど、足らない気がいつもしてた。
まさか産後仕事を辞めることになるとは思ってなかったから、ゆくゆくは悠々自適な生活にしてあげようって思ってたし。
でもま~人生は自分の思い通りにはならず、
すっとこどっこいな人生。
それなりに勉強しながらだけど、自分も子育てやいろんな事経験したから、余計に親のこと偉いなぁって尊敬するのよね。
今年父が傘寿(80歳)のお祝いをして、これは息子らが頑張ってくれて、まぁちょっとすごいカメラなどを・・・・。
彼らはパパ族だから任せろって感じだったんだけど、来年は母の傘寿、これは私が頑張らないと!!って思ってね。
悩んで悩んで・・・・・。
父の傘寿の時に父の一番喜んだのは、娘や孫がみんな笑顔で揃ったこと。
だったのね。
わかってるんだけど、なにか記念になるものをあげたいなって考えてて。
あるものを手配しました。
そんなに思ってたほど高価では無いけど、きっと喜んでくれると思うもの。
また届いたら報告します。
それを最後に、後は本当に元気になることだけを目指して、何かしてあげよう病は辞めることに。
出来ないんだもん。
このままじゃ何も。
そんなこと悩んでる場合か!って薬の山を見ながら思ってね。
親ってそうだって自分でも思ったから、元気な笑顔をね見せてあげることに専念しようって思いました。
でもきっとずっと思っちゃうんだろうな~。
とは思いますけど・・・。