初めまして、ツルピハゲママの夫です。【妻と育児と乳がんと】というアメブロを以前書いていました、ハンドルネームはるまっちです。ご存知の方は本当にお久しぶりです。長文失礼します。
愛するハゲママちゃんですが、2024.12.23に、家族に見守られる中、旅立ちました。子供達は本当のギリギリ最後の一息のところで間に?合いました。
先日のお別れの報告は、どうやら娘に託していた様です。私からも皆様に感謝をお伝えしたいので、今回記事にしますが、これでツルピカハゲママちゃんのブログは終わりになります。
ハゲママちゃんですが、12/3に緊急入院していた病院から退院しました。もう自力で立ち上がりが出来ず、男2名で家のベッドまで運びました。
2、3日は比較的落ち着いていました。電動ベットで高さを上げて歩いてトイレに行きますが、徐々に息切れが。酸素を2リットルから4リットルにあげました。便座から立ち上がれず、自作の座台を作り対応しました。吐き気もつよく、起床時は必ず嘔吐。
12/6頃には、2人でクリスマスプレゼントの包装。息切れしながらどうにか。
12/12日頃には、歩けなくなり、尿管挿入。
12/15頃だったでしょうか、呼吸の形は悪かった。
その日の夜、異常な呼吸苦を訴え、担当医師にすぐ報告し応援要請しました。私も看護師なので薬剤があればすぐ実施はできるのですが、注射製剤がなく医師待ち。ハゲママちゃんは、もう殺してほしいと溺れた様な声で言います。抱きしめるしかありませんでした。
鎮静をかけてもらいました。2時間ほどで目覚め、息苦しさはないとのことでした。ここからモルヒネと鎮静の薬が点滴として始まりました。
これからいつでも苦しくなったらモルヒネ点滴を早送りできますし、お守りがあるから安心やね、と2人で話します。2人とも「苦しいのはなし!」で改めて一致している事を確認。
12/19未明、「苦しい」と。
医師に報告し、滴下量をあげる。「まだ苦しい」→滴下量あげる、の繰り返し。アンペック坐剤を入れてとのことで挿入。そのご息苦しさは消失。
12/19、朝を迎えます。そろそろ家では難しいか。。2人で話し、緩和ケアへの入院を決めました。酸素はこの時8リットルで在宅療養していました。以後、ハゲパパは魂が抜けそうなのを必死で耐えて生活していきます。
12/20、呼吸の形は異様ですが、本人的に「落ち着いてると思う」。緩和に入院させたのを後悔。私はずっと申し訳なく泣いていましたが、彼女も1人になったらそうだったのかな、と思います。
12/21 呼吸はさらに異常に見えます。黄疸もでてきて、かなり悪そうです。苦しくはないがとてもダルいとのことでした。この日だったか、面会の時にスマホが転がっていたので、拾ったら、メルカリでタヒボ茶を売るような記事を書いている途中で力尽きていました。
この日はハゲママちゃんの夢を見ました。
一つは、ツルツルの頭で洗面所に立っていて、こちらを満面の笑みで見ています。うわ、立ってる、と思い嬉しかったです。
も一つ、今度は髪がサラサラのロングの時で僕の好きな服を上半身だけきてて、下半身は裸でした。病気になる前のママちゃんです。僕は好きー、と言いながら後ろから抱きつこうとしたら消えていきました。触りたかったな、、、。好きだから。大好きだから。。。泣。
けど、嬉しそうな顔で消えていって、幸せでした。
12/22 この日はひどく苦しそうで、モルヒネを3回フラッシュしたと看護師より報告を受けました。
私も面会を25分で切り上げ、ずっと背中と頭を撫でるだけでした。呼吸はやや努力様、といったところ、悪かったです。普段は15時前に面会するのですが、明日は面会最速の14時ダッシュ決めようと思いました。黄疸もさらに目立ちます。
夕方、義理母から結婚指輪を返されました。「浮腫んでいたいんだって。青あざになってた、今のうちにって本人の希望で」。
ギリギリまでずーーっとつけててくれた指輪、嬉しそうにつけてた指輪。自分から外す時が来るなんて、、、。寂しい。。でもありがとう、もう良いんだよ、苦しみや痛みは一つずつ取っていこう。ママが大好き!!
夜、また夢を見ました。
苦しい、苦しいというツルピカちゃんの夢です。ひどく鮮明で、朝起きたら疲労がすごかったです。
12/23 起きなきゃと思い起きた瞬間、電話が鳴りました、嫌な予感的中です。
看護師から、朝は朦朧とですが話せてて。さっき意識がなくなり、呼吸が悪いです、と。「下顎呼吸?」と聞くと、そうです、と。
落ち着いていました。義理母に電話し、小学校に電話し、義理父に迎えに行ってもらう間に、自分は間に合わなきゃと思い急いで行きました。ママちゃんを1人では行かせない、いつも逃げててごめん、一番怖くて不安で悔しいのは君なのに!絶対間に合うから、待っててほしい!!!
意識はなく、下顎呼吸。消耗反射も消えていました。けど、「ああ、よかったー。来たよ、間に合った!」とママちゃんの頭を撫でました。
5分くらい経ったかな、呼吸の中に微かに声が聞こえてたのが、聞こえなくなった。回数も少しゆっくりに。
僕以外誰も来てない。ふと窓の外を見ると、白い影がスーッと窓越しに横きりました。あっ、バアバきた!と思い振り返るけど誰もいません。あー看護師さんが廊下通ったのが映ったのかな。と思いましたが、映り込むものもありません。
ん???下顎呼吸で、弱々しいけど。。。
まさか、
ツルピカちゃん???!!!
ちょ、待て待て待て。え?今?うそ?息してるよ?ちょ!子供たちは待ってあげて!大好きだけど、それはだめ!❤️
バアバがきて、子供三男と義理父も到着。
ギリギリ(本当は限りなくアウトだけど)セーフでした。
皆に看取られ、息を引き取りました。
脱引きこもりオタク系女子に転生した長女は、感覚が麻痺してたのか笑ってました。寂しすぎるんだよね。大丈夫、わかってるよ。
普段はクールな元オムツ隊長の長男は号泣、こっちが貰い泣くわい!
数年前、シャキーンと煉獄さんの刀で首を狙っていた末っ子も号泣でした。車椅子押したり、ママの介助、たくさんしてくれたね、ありがとう。
ママ、大好き💕
大好き💕
話がしたい
触りたい
頭撫でて
一緒に生きたかった
たくさんの写真と思い出、手紙と花、大好きな浜崎あゆみさんの音楽を流して、送りました。
2020.4に発覚、余命は夏まで。そういわれて、抗がん剤が効き、2024.12月までその人生を生き抜きました。
41歳という若さでした。子供が幼く、心残りもあるでしょう。残された家族も、寂しいです。会いたいです。
どうにか、もがいて、また天国で会いたいな。
ツルピカハゲママちゃんを応援してくださった皆様、実際に贈り物やお会いしてくれた方々、旅行先で物をもらったり、お話ししたり、連絡くれたり、いろんな方々のお陰で、妻も元気で過ごせたのだとと思います。最後の最後は声にならない震え声でしたが、指先だけは何とか動かせ、このブログを書く事を生き甲斐にしていたと思います。亡き妻に変わりまして、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
おわりに、、、。
12月、最後の退院前の入院中の会話。
僕は好きな人との別れが嫌で、下の様な会話をしています。
亡くなった後、
ツルピカハゲママちゃんが心配してる、
脱引きこもりオタク系女子に転生した長女がこんなことをいいました。
娘「ねー、来世もこの家族なんかな」
(声ちっさ!笑)
パパ「うん、この5人で来世もいこうや」
(さっきの星になりたい発言どこ?笑)
娘「ママはちょっと前、星になりたいって言ってたよ」
パパ「あ!それ、パパの真似やん。パパ、最近それ言ったわ。星になったら大好きな人とお別れすることないし、寂しくないもんね。ママも辛くて、そう思ったのかな、、、、うう、、泣」
娘「いや」
「星に生まれ変わったら、いつでもみんなの事見ていられるから、って」
えーん泣
ママー泣
大好き❤💕💕