世の中には一気にやる片付け推奨派の方がいて、そのやり方が合う人がいる。

私の尊敬して止まない母も一気にやる派でした。


しかし私は紆余曲折した結果、合う合わないというか、小スペースからやっていって己の片付け力を鍛えていき、最終的にラスボスやっつけるやり方を気に入ってしまったので一気にやらない派。


そして小スペース推奨派の何人かの方が仰っていたのが、最初は財布の中身を整理するといいというアドバイス。


そんな訳で、このブログで片付けの記録をする決意表明をしたあと、お財布の中、整理しました。


そしてブログに記録しておこうと客観的に己のやっていることを振り返ったことで気付きました。



お財布!いっつもやってる!!


思い起こせば断捨離しよう、片付けしようってする度に、いっっっっつも財布からスタートしてた。

しかも整理整頓された部分を少しずつ増やしキレイを維持し最終的にお家全体の片付けを達成しましょうって教えを財布だけは(笑)守れてるから財布の中に余計な物なんてなかったぁー笑い泣き


レシートの類はその日のうちに出してるし、クーポンとかも期限切れとか小まめにチェックしてる。

だから財布だけは継続して整ってました。


もうそこは大丈夫だから、2歩目に進めっていうか最初の1歩を別の場所にしよう。

持久力ないのに毎回スタート同じなら、立ち止まる場所も大体同じなのよ。

せっかく維持してるなら、スタート地点をもちょっと先に設定できるじゃない。

そしたら、立ち止まる場所も少し先になるのよ気付け私!


という訳でようやく気付きましたてへぺろ

いやぁ全っ然気付いてなかったな、それだけでもこのブログやり始めた甲斐があった始めて良かったです。


たぶん、やる気が出ないときは財布からするといいよってのも刷り込まれててやってた部分もある。

でも今度からやる気が出ないときにやる場所をもっと別に設定します。

そんで、お財布みたく整理整頓が習慣化されるとこ増やすぜ!


色々な片付け本を読んでまず思ったことは、あぁ母に言われたことがたくさん書いてある、でした。


母に言われた事を受け止めて、実行していれば早々に片付け上手になっていたのかなとも思うけど、それまでの私は、手放したくない!が1番だった為、所詮たらればの話。

何でもそうですが、自分からその方向に向かなきゃ、頂いた言葉やアドバイスは脳内タンスに仕舞われたままですもんね。


そんなこんなで、掃除に時間かけたくない楽したい、なんかわからんけど物が多いの問題な気がする!減らす!整理する!にシフトチェンジした故に脳内タンスから母の言葉も引っ張り出され、それを踏まえてまず決めたことは、



片付けは一気に!

(諸々の本・雑誌より)

ちまちまやらない!!

(母に幼少期から言われていた言葉)


頭に疑問符が浮かんだ方もおられるかもしれません。

しかし人それぞれ刺さる部分は違うのです、私に刺さった諸々から導き出したのがこれだった。


で、心の在りようを改めるとこからスタートした私は、いよいよ頭に叩き込んだあらゆる諸先輩方のアドバイスに従い具体的に実行へと移したのですが……



端的に言うと成功はしませんでした笑い泣き



失敗したと言うわけではないけど、決して目指した成功じゃないという。


やり方を教えてくれる色んな本を頼りに頑張ってみるものの、いつも途中で疲れ果てる私。

色んなアプローチの仕方を試してみるも、続かないし望んだゴールに辿り着けない。

言ってることは理解できるし、なるほどなって感銘受けてるのに、体力と気力が続かない、結果私に一気にやるは無理となりました(無念)


でも片付けたい気持ちだけは継続していて、今度は狭い範囲からスタートするのがいいとアドバイスする本を参考に。


そこには、整理整頓する事に慣れたら一気にやれるが、そもそもそうしてこなかった人達は、少しずつ脳みそも体も片付け力を鍛えていくことから始めないとできるわけがない、というような事が書いてありまして、脳内にカミナリ落ちましたね。


スポーツ始めていきなり高度な技なんてできる訳がない!でも基礎を繰り返せば、自然と鍛えられて色んな事ができるって事だ、なるほどな!って、この考え方にも素直に感銘を受ける単純な私チュー


一気にやる方が合う人もいると思うけど、私はこっちの方が性に合ってる、気がした。

ま、気がしただけで正解かどうかは別です。


だって、未だに片付け迷子だもの爆笑

私の正解はどこなんだろうな。

早く出会いたいものです。

子供の頃から毎年、母からのバレンタインチョコを楽しみにしていた私。


大人になっても貰い続け、毎年喜ぶだけ喜んで終わっていたある年、喜んでくれるのは嬉しいんだけどお返し貰った事ないなぁえーといじけ気味に言われて、ハッと気付きました。


ごめんよ母、幼少期からの思い込みでお返しとか全然頭になかった。

そもそも私の中でバレンタインという行事があげるものじゃなくて貰って終わりなイベントと認識されてた(すごい残念)


なので、別にいいんだけどねって加えて言ったけど、私も大人になったし、それこそ喜んでもらえるのは嬉しい訳で、残念思考の自分を改めまして、次の年からは一緒に楽しめるようお互いにバレンタインチョコを贈り合うことにした。


余談ですが、貰うのには一切抵抗なかったくせに、買うのには商戦に乗ってやらない買わないと謎の抵抗をしていた過去の私、母にあげるようになったら商戦に乗っかることに抵抗がなくなったという。

そのあとしばらく乗っかりまくって色んな人にあげたよね爆笑





残念思考を改めて以降、バレンタインシーズンになると、色んなお店のパンフレットを貰ってきて、どれにする?と話したり、お互いに欲しいものを伝えて買いに行ったり、食べてみて気に入ったら追加したり。

子供の頃とは少し形を変えて楽しみなイベントになった。



楽しみだったんだけどなぁ、だからこそ亡くなって最初に迎えたバレンタインは、それまでみたいに買うことも当初は見に行くことすらできなかった。

でも何も無いかのように過ぎていくのも悲しかったから、よくわからん意地のもと何度かイベントに足を運んだ。


だけども、見ても心が認識できなくて視界に入ってるだけだし、目は潤んでくるし、さっと通り過ぎるしかできないしで、毎年ワクワクしてた気持ちが全くこれっぽっちも湧いてこなくて寂しくなるばかり。

かと言って、悲しい気持ちのまま終わるのは、やっぱりどうにも嫌でどうにかしたくてもがきました。


結果、最後まで自分用も母用も買うことはできなかったけど、母が亡くなったときすごく助けてくれた人達の為に買おうって思ったら、寂しい気持ちではあったけど、ちゃんと見て選ぶ事ができました。


たぶんしばらくは自分用も母用も買えないんだろうけど、それでいいかって思えるとこまであのとき頑張ったから、ここ数年楽しめない自分を許せてる。


いつかあの頃みたいにバレンタインを純粋に楽しめるときが来るといいなぁと思うけど、この先ずっとどこか寂しく感じたままだとしても、それでもいいかとも思ってる。

そんな感じで今年も画面の向こうの出来事のように関わることなく通り過ぎました。まだしばらくは遠くから眺めるだけで終わりそうです。





チョコ贈り合っていたというと甘い物大好きなんだろうと思われるかもしれませんが、実は私も母も決して甘党ではなく得意でもない。

なので、大事に少しずつ食べてたってのもあるけど、毎年賞味期限ギリギリまでチョコ残ってました。

つまり多くの人より長い期間バレンタインチョコを楽しんでいたニヤリ…とも言うw


チョコ好きなんだよ、好きなんだけど、1度にたくさんは食べらんなかったの、特に母。

チョコ1粒にビール1缶の割合だったわ。


整理ガン無視収納能力と隠蔽能力に開花し、整理整頓や断捨離とは逆方向に突き進み、母にあなたのは片付けてるって言わないのよと何年も言われ続けたある日。


突然、本当に突然、掃除するのに物が少ない方が楽なのでは?と至極当然の事にようやく気付きまして(遅っ)

やっとそこから、物を減らそう(๑•̀ㅂ•́)و✧という方向に気持ちが向きました。

他にも物を減らしたい要因はあったと思うけど、とにかく私の気持ちが物を減らそう、減らしたい!に向いた。


どこに何があるかわからないのは片付けられてるとは言わない、あっちにやったりこっちにやったりしてるだけでお片付けしてるのとは違う、仕舞い込むのと整理するのは違う(同義じゃない)、小動物が自分の巣の手前だけをカリカリしてるようにしか見えない(全然片付けられてない)等々。

私は今片付けてるのだ!と言うたびに母に指摘された今までの私サヨウナラ、綺麗さっぱり片付けてスッキリした部屋にしてやるぜ。



そんな訳で片付け本を読み漁る日々へ突入したのです。



すぐ片付けないんかいっというツッコミは甘んじて受け入れます、片付けません。

生まれてからずっと片付け迷子だったので闇雲にやってもダメな事だけは理解してたのよ、学ぶことからスタートこれ大事。


で、私は本屋の専門書コーナーにある本や特集している雑誌を全部読み切る勢いで通い詰め、読み倒したのでした。





片付け迷子まだ彷徨い中。


子供のときの片付けの仕方が、目につくとこから少しずつやっていっては寄り道する(別の事に気を取られたり要領悪かった)タイプだった私。

思うように片付けが終わらないので、最終的に母に叱られないよう見えないとこに押し込む!の荒技を繰り返し日々精度を上げた結果……


ぱっと見片付いて見えるけど実はあちこち無駄に収納されまくってる、という整理ガン無視収納能力が開花。


それは、あらゆる物にすぐ愛着が湧き、使えなくなった物ですら思い出があると手放せない執着心、そしていつか必要になるかも?という貧乏根性を持ち合わせていた私にとって、素晴らしい能力開花だった。


なので、その後もその能力を遺憾なく発揮し、次々と手放すことなく溜め込んでいったのです。


ぱっと見きれいな部屋、を保ちつつニコニコ


しかしその能力を持ってしても、生きている年数を重ねていけばいずれ限界がくる訳で、次に開花した能力が、ぱっと見おしゃれを演出隠蔽能力(ん?)


そこでまともに整理整頓へ向かないのが私。

さすが私、ズボラ街道一直線。


今まで溜め込んだ物を手放す作業が、自分にとって非常に労力精神力を要とすると本能的にわかっていて、よっっっぽど手放したくなかったのでしょうね。

新たな収納場所を生み出したり布物で覆ったりの目隠しだけでなく、死角を利用して配置するなど、とにかく隠蔽に全振り。


今なら根本的な解決になっとらんのよって言えるけど、当時はなんというか、天才かもしれん!おねがいと自画自賛しておりました。


だってほら、ぱっと見きれいな部屋だから。





本当はやりたかった理想の整理整頓を実行できる能力開花まで、たぶんきっともう少し。