子供の頃から毎年、母からのバレンタインチョコを楽しみにしていた私。


大人になっても貰い続け、毎年喜ぶだけ喜んで終わっていたある年、喜んでくれるのは嬉しいんだけどお返し貰った事ないなぁえーといじけ気味に言われて、ハッと気付きました。


ごめんよ母、幼少期からの思い込みでお返しとか全然頭になかった。

そもそも私の中でバレンタインという行事があげるものじゃなくて貰って終わりなイベントと認識されてた(すごい残念)


なので、別にいいんだけどねって加えて言ったけど、私も大人になったし、それこそ喜んでもらえるのは嬉しい訳で、残念思考の自分を改めまして、次の年からは一緒に楽しめるようお互いにバレンタインチョコを贈り合うことにした。


余談ですが、貰うのには一切抵抗なかったくせに、買うのには商戦に乗ってやらない買わないと謎の抵抗をしていた過去の私、母にあげるようになったら商戦に乗っかることに抵抗がなくなったという。

そのあとしばらく乗っかりまくって色んな人にあげたよね爆笑





残念思考を改めて以降、バレンタインシーズンになると、色んなお店のパンフレットを貰ってきて、どれにする?と話したり、お互いに欲しいものを伝えて買いに行ったり、食べてみて気に入ったら追加したり。

子供の頃とは少し形を変えて楽しみなイベントになった。



楽しみだったんだけどなぁ、だからこそ亡くなって最初に迎えたバレンタインは、それまでみたいに買うことも当初は見に行くことすらできなかった。

でも何も無いかのように過ぎていくのも悲しかったから、よくわからん意地のもと何度かイベントに足を運んだ。


だけども、見ても心が認識できなくて視界に入ってるだけだし、目は潤んでくるし、さっと通り過ぎるしかできないしで、毎年ワクワクしてた気持ちが全くこれっぽっちも湧いてこなくて寂しくなるばかり。

かと言って、悲しい気持ちのまま終わるのは、やっぱりどうにも嫌でどうにかしたくてもがきました。


結果、最後まで自分用も母用も買うことはできなかったけど、母が亡くなったときすごく助けてくれた人達の為に買おうって思ったら、寂しい気持ちではあったけど、ちゃんと見て選ぶ事ができました。


たぶんしばらくは自分用も母用も買えないんだろうけど、それでいいかって思えるとこまであのとき頑張ったから、ここ数年楽しめない自分を許せてる。


いつかあの頃みたいにバレンタインを純粋に楽しめるときが来るといいなぁと思うけど、この先ずっとどこか寂しく感じたままだとしても、それでもいいかとも思ってる。

そんな感じで今年も画面の向こうの出来事のように関わることなく通り過ぎました。まだしばらくは遠くから眺めるだけで終わりそうです。





チョコ贈り合っていたというと甘い物大好きなんだろうと思われるかもしれませんが、実は私も母も決して甘党ではなく得意でもない。

なので、大事に少しずつ食べてたってのもあるけど、毎年賞味期限ギリギリまでチョコ残ってました。

つまり多くの人より長い期間バレンタインチョコを楽しんでいたニヤリ…とも言うw


チョコ好きなんだよ、好きなんだけど、1度にたくさんは食べらんなかったの、特に母。

チョコ1粒にビール1缶の割合だったわ。