↑菅野さんの愛機指差し

紫電改(しでんかい)








いつも

お世話になっております泣き笑い



私が1番好きなパイロット。

菅野直さんを

勝手に熱く語ります泣き笑い


好きの押し売り。笑


てきとうに

スルーして下さいねー指差し






​菅野直(かんのなおし)


海軍343航空隊 

通称 剣部隊(つるぎぶたい)


戦闘301飛行隊


新撰組 隊長


↑いやぁ見るからに

魅力が溢れ出てますね指差し




 ​この菅野さんもまた

 ​エースパイロット


そして


 ​破天荒で有名です爆笑




残念ながら

終戦の2週間前に

亡くなられてます。


2週間前ですよ


あぁ、泣きそう


まだ23歳だぞ、、


菅野さんの遺言で

遺品はほとんど焼却されてます。



愛用の財布だけは

靖国神社に飾られとる

みたいです。



いつか行ってみたい。






​菅野デストロイヤー爆誕指差し



この菅野さん

飛行学生時代に


機体で教官を煽り

​接触を繰り返す。


​着陸禁止区域に着陸しようとして

​機体をひっくり返す。


貴重な機体を​4〜5機壊す。


このことから

菅野デストロイヤー

って名付けられてます泣き笑い



いやぁ、ハジけてますね指差し

そうゆうの好きですよ指差し



そして


 ​軍規違反の常習犯



からの


 ​女子の前で部下と一緒に


 ​珍宝を一斉にポロリさせたりと


 奇行に走られております。笑​

↑今の時代にやったらあかんよー!!笑




 ​それ以外にも




着陸する基地を間違え、

司令官に怒られた際、

菅野さんは腹を立てて


指揮官のテントを

プロペラの風圧で

吹き飛ばしております。笑




 ​それから




セブ島の基地から帰る際、

敵機から銃撃に合い

ルパング島に不時着した

菅野さん。



そこの先住民と遭遇し、

俺は日本のプリンス菅野だ!

と名乗り

救援到着まで王様のような

生活をされておりますひらめき






B29が空襲に来た時も

避難せず

仲間と談笑しながら

我慢比べをしたとのこと泣き笑い



​やることが違いますね。笑


​魅力しかないです。笑





そしてなんといっても

部下思いです。


部下を特攻隊に出すよう

命令された時も

断固拒否。


部下を逝かすぐらいなら

自分が特攻に逝く!

と言っておられます!



菅野さんは

特攻隊を敵艦まで

護衛する任務にも

つくことがありました悲しい



その時は、

我々も特攻精神で行く

と言い、

落下傘を着けなかったそうです。


特攻隊員に対する

​心遣いですね



特攻の出撃命令を待つ隊員たちの

酒を飲んで騒ぐ声がうるさいと

上官から怒鳴られた際には


明日の命も分からない

搭乗員に何を言うか!


と逆に怒鳴ったそうです。




のちに


​帝国海軍最強にして

​最後の部隊



海軍343航空隊 

通称 剣部隊(つるぎぶたい)


戦闘301飛行隊


新撰組 隊長


を務めます。









この部隊は

海軍最後の精鋭部隊として

エリートパイロットが集められ

終戦間際まで

本土防空していた。




菅野さんは

敵機を発見すると


コチラ菅野一番

敵機発見


と無線で叫び

自ら突っ込んで行ったそうです指差し

こんな隊長は他におらんかったそうな。




 ​昭和20年8月1日


運命の日ですね。

あぁ泣きそう。



屋久島近辺で敵機を発見し

​攻撃をした菅野さん。



その際、左の翼に大きな穴が空いた。


二番機に乗る

堀さんに

菅野さんから無線が入る。



ワレ機銃筒内


爆発スル


ワレ菅野一番



堀さんは

護衛につこうとしたが、

菅野さんはこれを拒否。


怒った顔で堀さんに

拳を突き上げ戦いに戻れと

繰り返した。



堀さんは戦いに戻った。


その時

菅野さんの表情が和らいだのを

堀さんは見たそうだ。





空中戦がしばらく続いた後

菅野さんから


空戦ヤメ。

全機アツマレ。


と入電が入る。



 ​そこに菅野さんの姿はない。



部下らは菅野さんを探す。

燃料の持つ限り探した。


海軍基地や飛行場

どこにもおらんかった。



そして

​行方不明のまま

​終戦を迎える










昭和20年8月1日​


正式に戦死と認定され

中佐に昇進した。







もし生きておられたなら

TVでも良いけん

お目にかかりたかったですね


いつの時代にも必要な方



いや、ひょっとしたら

どこかで

穏やかに暮らしておられるかも、、




戦争で

どんだけの未来ある若者が

亡くなられたんでしょうね




菅野さんは

ゆっくり落ち着ける家庭が

欲しいと言っとったらしいけど

自分がいつ死ぬか分からないことに

葛藤していたそうです悲しい



そして


菅野さんは頭が良く

文学少年だったみたいで


中学の友達に手紙で


戦争が終わったら

大学で研究に

没頭できるような

静かな生活をしたいと


言っていたそうです。




涙が出ますね





菅野さんとはまた違うけど

永遠の0もまた良いですね。


和訳付き発見した。

拝借させて頂きます指差し

しびれますね。