1988年ジャパンカップの終了後、巷の余韻が冷め止まぬ中、オータムカップという比較的大きなイベントが開催されました。
確か小学館様からだったと記憶しているのですが、取材で駒木スペシャル(ちなみに、この名付け親は小学館様です)を貸し出した謝礼か何かで、エンペラーのキットを頂きました。
オータムカップには、この頂いたマシンで出た方がいいのかな?と子供心ながら思い、船橋大会に標準を合わせてマシンを製作しました。
しかし、これが完全に大失敗作でした。ただただ遅かったという記憶だけしか残っておらず、不思議と改造内容を全く覚えていません。V2どころか予選での完全敗退でした。
もちろん周りのレベルが一気に上がっていた事も、大きな敗因の1つだったかと思います。
余談ですが、実はオータームカップ時にも、TVの密着取材が入っていました。しかし結果が大惨敗だったので、実際に放送された内容では、その部分がバッサリとカットされていた覚えがあります。
その船橋大会の会場で、東京在住のグループの子に声をかけられ、仲良くなりました。その後数ヶ月間、ミニ四駆のイベントで一緒に行動したり、家に遊びに行ったりする仲になりました。
何年も後になってから聞いた風の噂話ですが、そのグループの中の1人が、年代は忘れてしまったのですが、後のジャパンカップでチャンピオンに輝いたそうです。
僕も絶対に知っている方だと聞いた覚えがあります。(詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント欄等で教えて頂ければと思います)
つづく・・・
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