山岡鉄舟の武士道 (角川ソフィア文庫)/著者不明
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あんまり、 そのまんま 理解しても・・・・・。

評論なんかは 時代に合わせて、 理解しなおしたほうがよいかも。




このまんまで 理解すれば、


すなわち カタチにとらわれる ということに・・・。




海舟評論なんかは 日本史好きなかたには おもしろいかも。

鉄舟の臨終 のさまが 書いてあります。
禅と武士道―柳生宗矩から山岡鉄舟まで (ベスト新書)/渡辺 誠
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あんまり よくわからん。

著者のフィルターを通った 武士道 としか・・・。




まあ、 だいたい 近代にいう 武士道 なんて 明治になって 西洋文明にでくわして、


慌てて 自分探しを はじめて 


武家社会の手前勝手な理屈を 社会的な道徳に 無理やり格上げした規範で、

まるで いまの義務教育でろくに勉強してない学生が 海外文化に触れて、 日本文化の無知をはじるようなものに似て、


まあ、結局、手前勝手な解釈で、 作り上げた 物語、  なんだと思います。




武士道っていうのは、 大体 個人の思想で、 恥 を基底として 忠勤に励む 倫理規範で、


共同体や機能集団の規律とかとは 本来 そのままでは 馴染まんはずなのに、



あろうことか、 国全体の規範のようにしてしまったために、


なんか 理解しにくい 難解な言葉や 訓話みたいなものが ならんでしまったんだと・・・・。


おまけに 禅の思想で味付けしてより難解に・・・・。


で、手前勝手な解釈は 生き、 個人の真理と法則と 集団の真理と法則が ごちゃごちゃで、


まあ、 先の 戦争の 結果を迎えてしまったんだと。 




鉄舟とか海舟の話なんか、  そのあたり 冷静にみてるな、と思いましたね。 


剣に精進し、忠に励み、国を思って、他に何が要るのか?ってな感じですね。 




個人の思想を 突き詰めて いったからこそ、


維新の時代は 個性に溢れた人物が 傑出したのだと・・・・・。


けっして、集団の倫理規範として 存在したわけじゃないと・・・・。



日本人の根底に共通意識としてのものが 存在したならば、 


明治維新なんて 起きなかったと思います。



みんな、 ひとりひとりが 個人で 考えて、


「ひとたび 事が起きれば 自分が一人 腹を切れば良い」 という覚悟こそが


原動力の源になったんだと・・・。


 


『葉隠』 のように、 「個人の恥」 を 具体例をならべて、 


「鍋島の侍たるもの・・・・」 みたいな 集団的な規範を 形成する例もあるけど、


所詮、 江戸時代の一つの藩の規範に過ぎんからね。 


日本全土の武士道と 言えるかは、わからんとこだと。


(個人の倫理規範を突き詰めて 類型化すれば 
フロイトの言うスーパーナントカが 見えてくるという意味で、

『葉隠』なんかは 興味深いのはまちがいないけどね。)


 



そこにある 狭義的な真理にも、学ぶ価値や意義は 当然あるけども、 

規模が大きくなれば、当然に そこに相対的真理も 法則も 複雑になるから、


きちんと 分けて 考えないと。 




武道やら、 およそ道たるものを 学ぶ意義というのは、

狭義的相対的な真理のなかの法則性を理解し、 


それが また別の狭義的相対的な真理、法則を探し、


また別の真理、法則を発見、創造すると いうことだと。 



現代のような 複雑で、重層的、かつ 大規模な社会において、


ただひとつの絶対的真理 法則を 見つけ出すことは 無理があるかもしれないけれど、


積み重ねによって、 


未知のものに出くわしても、


より、 発見創造はしやすくなるかと・・・。




個人の悟りが 社会、集団の悟りと 共通の時代は 確かに存在したと思うけど、


それは それこそ、御釈迦さんの時代で、 


御釈迦さんも 階級社会のなかで の悟りと いえなくもないし・・・・。



だからこそ、 時代に、社会に、国に合わせて、 変容してきて・・・・。 



まあ、だからこそ、絶対的な真理に 安住を求めたいという欲求もでてくるといえなくはないけれど・・・・・。



でも、大悟したひとは、 利休か秀吉みたいに 二つに別れていくのかな・・・・とも。 





まあ、そんなこと、 本読んで 思いました。