京王御陵線は山田から武蔵横山駅を越えて浅川を渡り、御陵前に到着する廃線ですの。
スタート地点の山田駅。側道が住宅の乱開発のせいですれ違いはおろか、お なかがひっかかって通れないくらい、すごく狭い。
ここが一級河川山田川の上流端です。
このあたりから右の方に分岐して、写真右端の家のあたりに上がって行ったはずです。
ここに、昭和42年設置で平成4年に廃止された処理場がありまして、処理水を放流してまして、山田川の水源になっていたようです。
今は、先ほどの写真のようにわずかな水しか流れていませんが。
この辺りで画面左側に向かって曲がりながら土手を上っていたようです。
10両編成のこんなに長い電車が走るとは当時は思いもしなかったことでしょう。
上から見るとこんな感じ。金網の向こうの、畑みたいになっているところが昔の線路の跡地だったようです。
そして、信号の向こうの、分離帯に植えられた街路樹のあたりで高架になりますの。
アジサイもそろそろおわりかな。
タチアオイっぽい?
街路樹が高密度で連続してますね。この木の茂ってるあたりに列車が通っていたんでしょうね。
魅力的な階段です。でも、民家の庭先とか私有地にでそうなので、やめときます。
当時は御陵線が高架で、省線(元甲武鉄道)の上をまたいでおりましたが、今はアンダーパスで中央線の下をくぐるようになっています。
この辺に武蔵横山駅があったと思われます。
武蔵横山駅でチェックインできました。
う~ん、多分、この不自然なコンクリートが、橋脚のあとだと思うのですが・・・。
この辺りで浅川を渡っていたと思うのですが。
少し上流側の、階段っぽい部分かにゃ。
跡形もないです。
出たっ!この黒ずんだコンクリートの壁みたいなのが、2本しかない、現存する橋脚ですね。
一本目。巨大な塀として使われてますね^~^
パッと見た感じでは、それほどひび割れとかもないし、崩落して隣の家に被害が出ることもないようです。
戦前としては、ものすごくしっかり作ったのではないでしょうかねぇ。
まあ、邪魔とは思いますが、撤去するのもお金がかかるから、そのまま残しているのかしら。
二本目。物置小屋と隣接して、物干しみたいに使っているっぽいですねぇ。
この辺から長房団地(聞き込みをしたら、当時は陸軍の兵学校(厳密には東京陸軍幼年学校)だったような話がありました)の中に入っていったようです。
聞き込みをしたところ、ここは古墳で、当時も壊せなかったから、南2号棟、3号棟のあたりを通っていたのではないかとのことです。
というわけで、この丸い所が船田古墳ですの。
だいたい、このあたりを通っていたんじゃないかしら。
これは・・?
住宅の跡地とも思えませんし、鉄道関係の遺構かにゃ?
それとも単なる電柱の基部とか?
御陵線関係の遺構にしては、少々時代が新しそうな気は致します。
ですが、微妙に面取りされていて、例えば鉄道用地を囲む塀や柵の一部だったとかそういった可能性はございます。
この辺に多摩御陵前駅があったと思われるのですが。
いまはただの住宅街です。
多摩御陵前駅でリンクできました。
京王御陵線(といっても2駅だけですが)をコンプしました。
陵南公園、まだアジサイ咲いてますね。
武蔵陵みやげOchaya御陵店は閉まっていました。
ルート※跡地に建物が建って通行できなかったり、橋の位置関係上、このルートが必ずしも廃線の跡地とは限りません。
おしまい