富士山本宮浅間大社を徹底紹介!(4)
静岡県富士宮市に鎮座する「富士山本宮浅間大社」についての紹介4回目です。武田信玄と浅間大社富士山本宮浅間大社ともなれば、数々の戦国武将からの奉納がありましたが、中でも興味深いのは、武田信玄が北条氏を追討するときに奉納した先勝祈願の願状(がんじょう)です。この書状は文字が薄いところと濃いところがあり、まだらな感じになっています。どういうことかというと、信玄クラスでは、通常は右筆といって、文字を書く専門職いたので、書状の文字に濃淡ができることはないのですが、この先勝祈願の書は、普段自分では文字を書かない信玄が筆を取って自筆で書いたこと分かるからなのです。墨の付け方が不安定なのでところどころ濃くなっている。このことから、信玄が本当に北条氏を打ち取りたかったという気持ちが伝わってきます。富士山頂上奥宮山頂の浅間岳には浅間大社の奥宮があります。7・8月だけで、例年30万人近くが登拝しているとのこと。浅間岳は、富士宮口・殿場口の頂上。山頂と神仏の歴史としては、「本朝世紀」という本に。久安(きゅうあん)5年、1149年に、末代上人が、数百回登って大日寺というお寺を建てたという記録があります。今から876年前。明治維新の神仏分離前は、大日堂(俗称:表大日)と呼ばれていました。久須志(くすし)岳の頂上には、奥宮の末社・東北奥宮久須志神社があります。久須志岳は、須走口・吉田口・河口湖口の頂上。また須走口と吉田口は8合目で一緒になります。この久須志神社は、神仏分離以前は薬師堂(俗称:裏薬師)と言われていたそうです。頂上の噴火口は、浅間大社の幽宮(かくりのみや)=神霊が人前に示現することなく永久に鎮まる宮。元は、イザナギのミコトが引退して淡路島に帰って住んだところといわれています。この幽宮は禁足地で、その深さが8合目に達することから8合目以上が浅間大社の境内地となっています。広さは120万坪。頂上には8つの峰があり、ここをすべて巡ることをお鉢巡りというのはご存じの方も多いかと思います。ただ、実際にはもっとたくさんの峰があるそうです。では、なぜ8つの峰というかというと、胎蔵界曼荼羅と関係があるらしいです。曼荼羅の中心は大日如来。そこから8つのハスの花びらが広がって、それぞれに仏が乗っている。この図を富士山の頂上に見立てて8つの峰を巡ると縁起が良いとされるようになったという説があります。富士山のご祭神富士山のご祭神は、現在コノハナサクヤヒメとされていますが、古代には、福慈神、浅間神、浅間明神、浅間大神といわれていました。竹取物語では、帝がかぐや姫から不老不死の薬をもらったのですが、姫が月に帰ってしまったので、一番月に近い富士山頂で薬を焼いてしまったという話もあります。かぐや姫が富士山に帰っていったという話から、ご祭神がかぐや姫だったこともあるとか。神仏習合時代は「富士浅間大菩薩」といわれていました。