数多ある美空ひばりのヒット曲のなかでもベスト10の堂々第3位となっているのが「悲しい酒」です。この歌を歌うとき、ひばりが必ず涙を流すことでも有名な歌ですね。

※ちなみにベスト10は、

①川の流れのように ②柔 ④真赤な太陽 ⑤リンゴ追分 ⑥みだれ髪 ⑦港町十三番地

⑧東京キッド ⑨悲しき口笛 ⑩波止場だよ、お父つぁん  となっていますね。

 

 しかし、この歌が実は「カバー曲」であったことは、あまり知られてないようです。

1960(昭和35)年に、北見沢惇という方が唄ったシングルレコードでした。

北見沢は、松竹の第3期ニューフェイスでスター候補生でした。「シャープ・ガイ」というキャッチフレーズもついていたとか。

彼の唄う「悲しい酒」をYouTubeで聴きました。ひばりの「悲しい酒」とはまったくの別ものな感じで、曲のテンポは速いし、その歌声は藤山一郎ばりのクラッシック美声系で、歌の深みに欠けている印象がしました。

 

 もともとこの曲は、作詞家の石本美由起がコロムビアのディレクターから「酒は涙か溜息か」の現代版を依頼され書いたものでした。

戦前・戦後の流行歌の父とも呼ばれた古賀政男も、心底気に入った歌でした。しかし残念ながらこの歌はヒットしません。

その後も、古賀の弟子アントニオ古賀が挑戦するも出来が悪く断念。'63年には北島三郎によるカバーも試みられますが、レコーディング直前にクラウンへ移籍となり実現せず。

とても残念がった古賀でしたが、「この人と思える歌手が現れるまで、世に出すのをよそう」と歌を封印してしまいました。

 

 時は経て、ついに古賀政男が封印を解く歌手が現れます。「美空ひばり」です。

この曲がカバー曲であることを伏せた上で、彼女に提供されます。当初ひばりは、あまり気が進まないままレコーディングしたようです。(無論、間奏部のセリフはなしでした)

この曲はスムーズにヒットしたわけではなく、ひばりがライブで歌ってみる中で歌の本質に気づき、名曲へ育てていったのです。

 

 1966(昭和41)年、ひばりはこの年6月からの「新宿コマ公演」のリハーサルで、実際レコード通りに唄ってみて、もっとテンポを落とした方が自分の感情と歌が一つになる事に気づきます。最も気持ちが入るところまでテンポを落としてみると、1番と2番の間奏が持たなくなり、そこにセリフがあればもっと歌が引き立つと思い即座に石本に電話し、その気持ちを伝えました。それに応じた石本は、頭に浮かんだセリフを急いで送りました。

このことで「悲しい酒」に新しい命が吹き込まれたのです。

ライブで、ゆったりとしたテンポで感情を込めて歌われるこの歌は、セリフの効果もあって会場のファンの間で、素晴らしいと評判を呼びました。

翌年に3月には、改めてセリフ入りでレコーディングされ、そのうちテレビ出演でも多く歌われるようになり、ひばりが必ず涙を流すことで話題性も高まり、次第に代表曲へと成長していったのです。

 

 「歌はこころで唄う」とは歌手の第一信条です。

 これが、美空ひばりの言葉でした。