音楽プロデューサーであり、音楽評論家でもあった小西良太郎さんは、この5月13日に86才でお亡くなりになりました。
最近ではBSの番組「名歌復活!」での進行役としてお見かけしていました。
私が小西良太郎という存在を知ったのは、島津亜矢「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」というアルバムのライナーノーツでのことでした。
島津亜矢の恩師である星野哲郎さんは、阿久悠さんとも心を通わせ合った先輩・後輩でした。
そんな阿久さんと小西さんは40年余りの親交があったそうです。
(八代亜紀「舟唄」「雨の慕情」や五木ひろし「傘ん中」などのプロデュースもありました)
阿久悠さんと言えば、昭和歌謡全盛時代の"寵児"ともいえる方でした。1960年代中期から70年代いっぱいまで大活躍され、日本レコード大賞・受賞曲の作詞が5曲もあり(尾崎紀世彦「また逢う日まで」、都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、八代亜紀「雨の慕情」)、また日本作詩大賞も8回受賞されていますね。
シングル売上は6800万枚以上、作詞した曲5000以上といわれており、その作品のジャンルも、歌謡曲、演歌、アイドル歌謡、フォークソング、コミックソング、CMソングととても幅広いものでした。
しかしながら、2007(平成19)年8月1日、70才で急逝されました。
同年のNHK紅白歌合戦では、その偉業を偲ぶべく「阿久悠追悼コーナー」として、最終出場者4人は以下の作品を歌ったのです。
・和田アキ子 「あの鐘を鳴らすのはあなた」
・森進一 「北の螢」
・石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」
・五木ひろし 「契り」
阿久さんが亡くなられてからも、その未発表の遺作が多く発表されました。なかでも2011(平成23)年に発表された島津亜矢のアルバム(10曲)は、全曲阿久悠さんの未発表作品。奇しくも丁度、島津亜矢歌手生活25周年の年にめぐり逢えたことになりました。
島津の恩師・星野哲郎さんは、この前年に亡くなっておられますから、島津亜矢には生前の阿久悠さんとの直接の縁はありませんでした。
しかし、阿久悠の未発表作品を世に出して曲として残そうと願うプロジェクトが、その作品を歌う歌手として島津亜矢を選んだのです。
冒頭に紹介した小西良太郎さんは生前、「阿久悠さんは、常に、亜矢のおおらかさに眼を細め、亜矢は阿久をずっと眩しい眼差しで見上げ来た。その作品と心の邂逅がこのアルバムで成就した。縁の不思議さを思わずには居られない」と述べておられました。
次回、悠悠⑵では、このアルバムの曲を聴いての感想などを書いてみたいと考えています。お楽しみに!