先日、『星の夜北へ帰る』のブログを書いた時、舟木ファンの女性の方から「『船頭小唄』にも随分と時間が要ったようです」とのコメントをいただきました。その事がずっと頭にあり、今回この「船頭小唄」について述べさせていただきたいと思います。

 

♪おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき…

「船頭小唄」といえば、私などはやはり森繁久彌さんが独特な調子で歌う歌声を連想してしまいます。

 

 この曲は、大正時代に大ヒットしました。大正10年、野口雨情作詞、中山晋平作曲により、民謡「枯れすすき」として発表されましたが、「船頭小唄」と改題後、大正12年には女優・中山歌子により初のレコード化となりました。

その後も多くの方たちにレコード発表されます。また同年には映画化される程の人気でした。「こんな退廃的な歌が流行るから、関東大震災が起きた」との中傷もありましたが、結果的には、流行歌の最初の大ヒット曲となったのです。

 

この曲の歌詞は五番まであります。

♫おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき

 どうせふたりは この世では 花の咲かない 枯れすすき

 

 死ぬも生きるも ねぇお前 水の流れに なに変わろ

 俺もお前も 利根川の 船の船頭で 暮らそうよ

 

 枯れた真菰に 照らしてる 潮来出島の お月さん

 わたしゃこれから 利根川の 船の船頭で 暮らすのよ

 

 なぜに冷たい 吹く風が 枯れたすすきの ふたりゆえ

 熱い涙の 出た時は 汲んでおくれよ お月さん

 

 どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れすすき

 水を枕に 利根川の 船の船頭で 暮らそうよ

 

 

 この敗残の思いを切々と歌い上げた歌詞は、不遇の時代を経てきた雨情の心情の反映なのでしょうか?

また、水郷潮来を棹さして過ぎる舟の、水をすべる調べを思わせる哀切な曲想は、晋平の傑作と言えるのでしょう。

 

 野口雨情は明治38年、第一詩集「枯草」の刊行後、流離・放浪の旅に出ます。それはなんと彼の25才から37才にわたり、北海道~樺太にまで及ぶものとなったのです。

大正7年、ようやく永いその旅を終わらせた雨情は、中央の詩壇に返り咲く為の足掛かりとして、中山晋平に対し「カチューシャの唄」に負けない程、日本の人の唄う謡にして欲しいと注文したと言います。

そしてこの「船頭小唄」によって雨情の転機は確実なものとなったのです。

 

 2006年の新橋演舞場公演・「船頭小唄」放浪の詩人・野口雨情の半生を9年ぶりに再演した舟木一夫さんは、インタビューに答えて非常に興味深い話をされています。

ー 続きは、次回となります。お楽しみに… ー