島倉千代子が2000年3月からの「全国コンサート」でオープニングとエンディングに唄う歌を星野哲郎に依頼した、といいますからきっと時はその前年の事になるのでしょうか。
赤坂にある近代的なコロムビアビルのスタジオでの島倉のレコーディングに立ち合いながら、星野は遠く40年前のことを思い出していました。
当時、コロムビアは古いビルで内幸町にあったそうです。星野はそこに日参し、ヒット曲を生み出し、自らの作詞家人生を切り開いて行きました。
その大きなキッカケとなったのが、すでにトップスターであった島倉千代子唄う「思い出さん今日は」でした。御大・古賀政男の作曲も得て大ヒットとなりました。それは昭和33年のことでした。
上記のような経緯から、星野哲郎は島倉千代子のことを『僕の恩人』と語っていました。まだ新米で駆け出しの作詞家を"コロムビア専属の作詞家"に押し上げてくれたからだったのでしょう。
その後、星野はクラウンレコードの立ち上げに参加した関係から、島倉との仕事はあまりできませんでした。
しかし、「専属」という軛から解放される時代となって"お千代と呼んでくださる先生が大好き"という島倉は星野に詩を依頼したのです。
その1曲が「感謝の旅路」です。
♫涙も嘘も 月日の川に
磨かれきれいな 玉になる
そうよ私の 人生は
みなさまからの 贈りもの
色とりどりの 宝石を
胸に飾って 感謝の旅路
♫嵐も雨も 凌いで来たわ
ただひとすじに この道を
そうよ私の 闘魂は
みなさまからの 贈りもの
命が終わる その日まで
続けたいのよ 感謝の旅路
曲 永井龍雲
「人生いろいろ」な島倉と「波瀾万丈の人生」の星野の友情から生まれたこの曲、タイトルは最初から島倉がつけていました。それを聞いただけで彼女が何を言いたいのか即座に理解した星野でした。
2曲目は「三日月慕情」です。
♫苦労を楽しみ ここまで来たわ
きっと明日も 流浪(さすらい)ぐらし
女の愛は 三日月慕情
思いはぐれて ふり向けば
月もひとりで わが身を削る
♫誰かを不幸に させたくないの
ひとりあきらめ ひとりで耐える
妻にもなれず 母にもなれず
生きる女の つよがりの
裏を知るのは あの月ばかり
曲 弦哲也
唄う歌手をよく研究し、その存在のトータルを捉え、そしてその声質まで読んだ上で詩を書く星野でした。
「月もひとりで わが身を削る」…光を放つフレーズです。
「やさしさ」と「こころ」を感じる詩ですね。