坂本龍一を聞きながら、サントリー・ホールで思ったこと | こまねこプロデューサーのブログ

坂本龍一を聞きながら、サントリー・ホールで思ったこと

坂本龍一のサントリーホールのコンサートに行きました。

意外にも坂本さんにとっては、サントリーホールでの演奏は、(ゲストとしてじゃなきゃ)初めてだそう。

非常に面白かったんですが、ふと、聞きながら、考えた。

今回は、東フィルがオケで、栗田さんが指揮したんです。で、そのオケの一部として、ピアノを弾く坂本龍一がいる。

自分が作って編曲した曲を、他のヒトが指揮するのに合わせて合奏の一部となってる作曲家ってどういう気分なんだろうな、と。(あるいは、自分が作って他人が編曲した曲を、他人と一緒に演奏する。)

坂本龍一は、気持ち良いんだろうか、あるいは、どこか、辛いところがあったりするんだろうか。なんか「あー、そうじゃないよ」とか思っちゃったりする瞬間もあっちゃったりするんだろうか?

それとも、やっぱり、演奏するってこと、合奏することの気持ちよさに酔いしれているんだろうか?

いや、演奏自体は私は観客として大満足だし非常に面白かったんだけど。

ほら、普通は、特にサントリーホールで聞くようなモノって、作曲が存命なケースって稀じゃないですか。チャイコフスキーにしても、ベートーベンにしても。

だから、その作曲家自体が「あー、この演奏ちょっと違うんだよな」とか「うわ、俺が思ったよりいいじゃん」とか思ってるかどうかなんてコトに思いをはせることはあまりないんだけど。今日はまさにそこに作曲家が演奏しているってことで、なんか、そんなことを考えさせられた。

そして、こうやって、「音楽が生まれていく」んだな、ってことも。

音楽は譜面や、頭の中にあるだけじゃなくて、演奏されて始めて「作品」になるわけで、こうやって、坂本龍一は自分の音楽を何度も演奏して、「作品」としてアウトプットし続けるんだよな、と。

産まれたばかりの「八重の桜」のテーマ曲が、ひときわ、瑞々しかったのは「産まれたてのせい」とか思ったのは、考えすぎか、先入観か。

そして、アンコールで坂本龍一自身が指揮した「シェルタリング・スカイ」の、オーケストラの音が、驚くほど研ぎ澄まされて聞こえたのは(最初の1瞬なんだけど)何か意味があるのか?

そんなことを考えるからやっぱり、ライブは面白いなあ、と思ったのでした。

うーん、ライブが面白いって言うか「作品が出来上がる過程に立ち会う」ことであるからこそ、ライブは面白いって言うか・・・。そんなことを思いました。

でも、坂本龍一は生きているから、作品が作り続けられるわけで、まだまだ素敵なものが世の中に産み落とされる可能性があるかと思うとそれも素敵なことです。



さて、私たちも「物を作る」チーム、ドワーフなのでした。

合田さん、峰岸さん、アオ、ジュンペ、完ちゃん、そして、ドワーフたち、みんなみんな。

長生きして、良い作品を沢山作れるようがんばろうじゃないか。

プロデューサーも、PMも、マネージャーも、楽団員と同じなのだから、ひとりひとり手を抜かずに作品を作らなきゃね、とも思った日でした。