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文章のみになります。
明日からとうとう、現在の民家の一角での最後のオープン4日間となります。
場所は、ご存知の通り、駅から離れた住宅街の、改装すらしていない一角。
場所は悪いとしか言いようのない不便な場所、そして狭い(^^;;
何故、こんな狭いところでコルメキッサというお洋服や絵画や人形のお店を始めようと思ったか。
28歳の時、まだ母が存命の時、お店をしてみようという話になりました。
母の条件は、
こんな場所だし、人が来なかったらいつでも辞めていいんだからね、
でした。
5畳半の私の自室に、知り合いの作家さんの作品を少しずつ置き、
足りない分は自分所有のお人形など置いてみたり。
お店の名前も母と考えました。
仮にも横浜市だし、少し懐かしい感じが良いね、ということで、
横濱浪漫館
と名付けました。
が、オープンと同時に、母の白血病も発覚。
毎日お見舞いに行くより、
お客さまが来てくれて、こんなの買ってくれたよー、こんなの入ってきたよーと伝える方を選びました。
その話をすると、闘病中の母は嬉しそうでした。
大きな宣伝などはしませんでしたが、元々作品のセレクトは厳しかったのと、
お客さまが大好きだったので、
気付いたら半年後には、展示会をやる程になりました。
懐かしい、初の展示会のタイトルは、
双生児〜似て非なるもの〜 展
DMの絵は、当時から仲良しだった鳥居椿ちゃんが描いてくれて、DM製作はCDジャケットなどで活躍している親友の本間いずみちゃんがデザインしてくれました。
展示会の前日、偶然母が一時帰宅で帰ってきていて。
なんと、夜中に家の前に人が並んでいる!!
こんな民家に!?
私も驚きましたが、母も喜ばせることができてよかった。
この、初の展示会の終わりを待たずして、母はこの世を去りました。
2人で始めたお店。
母が居なくなっても続けてゆきたくて、セレクトを続け、年に数回ずつ展示会をやる形式で、およそ10年続けました。
本当は辞めたくなかった。
でも、止む無い事情で辞めざるをえなくなった。
せめて、この空間だけでも残したいと、コルメキッサという名で立ち上げ直し、服飾中心にしてお店を始めました。
人生最後の挑戦だと思いながら。
ところが今度は、当時一緒に住んでいた家族との仲が急激に悪化し、ここでは何もできなくなりました。
そこで、偶然再会し、私に手を差し伸べてくださったのが、渋谷ギャラリールデコのオーナー、島中さんでした。
ルデコさんに出店の場所を移し、お店を続けることができました。
そして、妊娠していることが分かり、それでも仕事をさせてもらえる幸せを感じながら、月に1〜2週間ずつ、ルデコでオープンさせてもらっていました。
が、なんと19週で切迫となり、寝たきり入院に。
それでも場を提供し続けて下さり、普段は接客に向いていないさやか(キッサさん)がお店を開き続けてくれました。
私はツイッター上から普通にお客様と会話していたので、私がいると思って来てくださる方も多かったようです。
すみません、実は入院して早産と闘っていました(^^;;
予定より2ヶ月半早く早産し、私はその後2ヶ月半、娘に会いにNICU通いの日々。
私がお店にほとんど復帰できたのは、去年の秋頃でした。
同時に、ギャラリールデコも春から改装工事に入るとのことで、何かお返しをしたいと思い、
私の久々の企画展、
ラシャンブル展をクローズ前に開催させていただきました。
もう、怖くて2度と帰れないと思っていたアートの世界。
でも、本当は大好きだった世界。
服飾を交えて戻ることができました。
そして、ルデコさんリニューアルに合わせ、元の住宅街の片隅に今年3月に戻りました。
たまたま、不仲になった家族は去年この世を去りました。
すとん、と元のこの位置に戻ってくることに落ち着いたのですが…。
まだ、やれることがあるのではないか。
まだ、挑戦したいことがある。
そんな気持ちがムクムクと湧いてきて、
突然ですが9月28日をもって、この民家の一角でのオープンは最後となりました。
こんな場所があったということ、
実は沢山の想い出があった場所、
もし良かったら1度見ておいてあげてください。
場所は、
神奈川県横浜市青葉区梅が丘12-6 坂本方
です。
東急田園都市線 青葉台駅から徒歩、又はタクシーワンメーター。
明日から4日間、宜しくお願いします(*^^*)
コルメキッサ店主 坂本みゆき
お問い合わせは
kolmekissaa3@gmail.com
まで(*^^*)