どうも、コクトーです。

今日は、なんで世の中は窮屈で生きづらいのか?っていう暗~いことを考えてみたのですが、

でた結論は、「人間がお互いにレッテルを貼りあう社会になってしまってるからだよなぁ」ってことでした。

なんだかんだいって、やっぱり世間は冷たい。

ルールから外れやすい人、能力の低い人、空気に馴染めない人・・・

そういった人に対して世間は容赦ない。

僕自身は別に反社会的なわけでもないけれど、昔からおっちょこちょいで集団から少し浮いてるな~って自覚があったので、その辺の感覚はよく分かる。

例えば今の職場でも、仕事ができない上に社会人としての態度がなってない人がいる(なんかいつもヘラヘラしている。。。笑)

だから周りから露骨に冷遇されているし、特に何も悪いことをしていなくても目をつけられたりする。

本人は表面的には平気そうにしているが、内心は相当きついだろうな~って思う。

僕は基本的に、弱い方・苦しんでいる方に加担したくなる傾向があるので、どうしても責める気にはなれない。

もちろん正論を言えば、

「ちゃんと仕事をしないほうが悪い」し、

「態度がなってないのがいけない」から

「それらを改める」べきなんだろう。

でもそもそも、なぜかそれができないからこういう状態になるわけで。

役に立たない正論なんて空論とイコールだ。

なんていうのかな。

僕は心理学系の本とか脳について書いた本をよく読むんですけど、

人間って自分ではどうしようもないことに支配されている動物なんですよ。

例えば、

・脳の発達の度合いに伴う能力の偏り

・どういうホルモンが体内でどれだけ分泌されているか

・今まで受けてきた教育による刷り込み

・普段周りにどんな人がいるか。またその人達との相性。

など。

人間はそもそもがみんな違っていて、その違いはそもそも個人が選んだものではないんです。

これって、

身長とか体格とか運動神経とか見た目だったら分かりやすいですよね。

でも内面のことになると、とたんにわかりづらくなってしまう。

だから、努力とか意志の力で、"みんなが同じになれる"と錯覚してしまう。

でも実は、その努力や意志というものがそもそも、個人ではどうしようもない条件づけられた脳や身体から出てきているんです。

なので当然、一定の基準に合わせて人の価値を決めようとすると、

Aさんにとっては有利だけどBさんにとっては不利になったりする。

生まれつき身体が小さくて線が細い人がラグビー部に入ってもなかなか厳しいわけで、

でもラグビー部(=世間)は、その中でいかに活躍できるか?でその人の価値を決めようとするわけだから、そりゃ理不尽だ。

だから僕達がやるべきなのは、人の価値を判断しようとすることではなく、"ただその人を応援する"ってことなのだと思う。

要は、

”助ける気がないなら、黙って見守れよ。邪魔すんな。”ってことだ。

そういう態度が"ナチュラルな優しさ"だと僕は思う。

                        以上

どーも、コクトーです!

最近はとある方のオンラインコンサルを受けてまして、そこで気がついたことをつらつらと書きます。

夢がないのはやばいんじゃないだろうか。もちろん悪い意味で。

日本のこの時代に生きていて、未来になしとげたいことがないとか、情熱をかけられる何かがないって異常なことじゃないだろうか?

みんな本当に、今のままの日常が続くこと・・・つまり現状維持がいいと心から思っているんだろうか?

本当に今に満足してるのかな?

日本人の精神性として、

「状況を変えるよりは受け入れて、自分が変わること」を"美徳"としがちだけれど、それって本当にいいことなんだろうか、と最近よく思う。

自己啓発とかスピリチュアル界で有名な「ニーバーの祈り」というのがある。

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

Wikipediaより引用

僕も好きな言葉だし、よく引用される名言だ。

僕なりの解釈だと、この言葉の意味するところは

「変えられるものはちゃんと変えようぜ。でも変えられないものもあるからそれは受け入れような。」

ってことだと思ってます。

けれど、現代の僕ら日本人にこの名言を当てはめると、

どうも後半が過剰に強調されているように思います。

 

変えられるはずのもの(制度、生活、働き方、生き方・・・etc)

こういうものまで何か「変えられないもの」・・・というか「変えてはいけないもの」だとみなしてしまっているんじゃなかろうか。

そればかりか、現実を自分の望むように変えようと努力している人の足を引っ張ったり悪者扱いする風潮がありますよね。

それってすごく非生産的だし、ダサい。何よりまさに夢がない態度だと思う。

で、夢がないということはつまり情熱がないということだ。

人々に情熱がない社会って"やばく"ないだろうか?

夢が必要な理由

夢ってなんだろう?

僕を含めて世の中のほとんどの人が

「自分がこの1回きりの人生でどうありたいか」を真剣に考えたことがないんじゃないのか。

でも、それってやぱりおかしい。異常だと思うんです。

目の前の生活に追われて、あるいは常識や誰かの言葉に自分の想像力を縛られて、勝手に限界を想定して、

自分が本当はどうなりたいのかを素直に考えることができなくなてしまっているってのが僕らの現状じゃないでしょうか。

・・・いや、たぶん本当はやろうと思えばできるはずなんです。でも、優先順位を間違ってしまっている。

結局、自分の理想を練り上げることを後回しにしてはいけないんだと思う。

人生には大事に見えることがたくさんある。でも、

「今は時間がない」「もっと出世してから」「結婚してから」とか・・・それって世間では大ごとのように扱われているけれど、そうじゃない。

自分の理想をきちんと思い描くことのほうが、ずっとずっと大事なのだ。

なぜなら、まず自分の目的地を定めないと、いつまでたっても目の前の出来事や誰かの意見に振り回されてしまうから。

いろんな書籍で言われているように、人間は目標があって始めて能力をフルに発揮できる。

というか、能力が湧いてくるといったほうが正しい。

そして、目標=夢があるからこそ、日々起こる雑多なできごとに一本の筋を通して対処することができる。

明確な夢もなく、ただ起きたことに対処しているうちは、例えば地図もなく、カーナビも搭載しないまま適当に車を走らせているようなものだと思う。

理想を定めること。

もちろんそれは勉強と経験によって変わっていくし、常に更新されていくものだけれど、

"自分自身で目的地を定める在り方"を身に着けていこうと思う。

以上、コクトーでした!

どうも、ウォーキングデッドにハマり中のコクトーです。

 

最近、自分がブログをはじめたからか、色んな人のブログを読むことに時間を割いています。

 

特にイケダハヤトさんと坂爪圭吾さんの文章はすごく引き込まれますね!

お二人共独特の世界観を持ちながらも、1本筋が通ってる。

僕のような平凡な社会人にとって、こういうイレギュラーな生き方をしている人達の文章は最高に刺激的です。

 

あと、元受刑者のイノシシさんやクソマジメゲスブロガーのあんちゃさんも面白いです。

 

やめる勇気

 

この人達はなんでこんなに面白い文章が書けるんだろう?

それは、この人達が歩んできたストーリーに勇気を感じるからだと思います。

 

イケダハヤトさんにしろ、坂爪圭吾さんにしろ、イノシシさんにしろ、あんちゃさんにしろ、みんな自分の意志で世の中のメインストリームから外れる決断をした人達ですからね。

 

いわば、"やめる勇気"を持っている人達。

 

そういう人はすごく強いなぁと心の底から思う。

 

人間、何かを始めるよりも何かをやめる方がずっと勇気がいりますからね。

 

だって、"やめる"ことに対する世間からの評価や周りの反応って厳しいじゃないですか?

 

きっと本人達だって不安や心配、自分自身の能力に対する疑いはあったに違いないんです。

それでも自分の本心に従って決断できたというのは、すごいことだと思います。子供みたいな表現ですが、心からそう思います。

 

で、そういう経験って「自信」につながるんですよね。

なぜなら、自信は自分で決めた行動の後についてくるものだから。

 

衝動に、従え

 

それと、彼らの文章を読んでいて、学びになったことがひとつ。

 

それは、「自分の衝動に従えるかどうかが自由への分かれ道だ」ということです。

 

僕らはどうしても、

 

正しい・間違い

善・悪

美・醜い

優れている・劣っている

 

っていう2元論で物事を見て、ジャッジを下してしまいます。

それはもう、無意識に。どうしても。

 

このジャッジは人間の認知の仕組みなので、深い瞑想状態にでも入らない限り働き続けるものなんです。

 

だから頭で論理的に判断を下そうとするとどうしても、

 

常識や

道徳や

他人の意見

 

こういったものに縛られてしまいます。

 

社会的に刷り込まれたものって、僕達の想像以上に深く深く人間の中に根付いていますからね~。

特に現代は"洗脳社会"って揶揄されてるぐらいだし^^;

 

だからこそ、"正論っぽいもの"や"もっともらしい理屈"ではなく、

自分の中にくすぶっている"衝動"に従うことが大事なんです。

 

彼らの発言や生き方を見ていてそう確信しました。

 

衝動とはいうならば、

常識や道徳やもっともらしい論理によって押さえつけられた自分自身の反抗がカタチになったものなんだと思います。

 

その衝動は自分を守ってはくれないし、

それに従うことによってたぶん激しく傷つくこともあります。

 

でも自分自身の衝動に従っていると、苦しい経験すらも、自分を活き活きと自由にする糧とすることができるんです。

 

苦しみを、"耐え忍ぶべき必要悪"としてではなく、"人生に深みを与えてくれる友"として感じることができるような環境と営みに自分自身を置くこと。

それによって得られる、自然な充実感。

 

その感覚ってたぶん、生きづらさを抱えている多くの人が求めているものなんじゃないかな。

 

逆に

 

正しい・間違い

善・悪

美・醜い

優れている・劣っている

 

こういった2元論の中で秀でようとして自分の衝動をないがしろにしていると、

人間はひからびてしまう、屍みたいに。

 

縦軸の評価はヒトの殻を守るためのものであって、中身を充実させてくれるものではないから。

 

そんなことをつらつらと思った次第であります。

 

やっぱり、情熱を感じるブログを読むのは楽しいですね。

 

以上、コクトーでした!

さて。

先日の記事で植松努さんのTEDスピーチを紹介させていただきました。

今回はそれについてまだ思うところがあったので書きます。

 

まだ観ていない方は必ず見て下さいね!人生変わりますから!

 

 

お金がないと無理な夢=誰かがしてくれるサービス

 

スピーチの前半4分の1あたりで、植松さんはこうおっしゃっています。

 

「お金がないと無理だー!っていう夢は、誰かがしてくれるサービスにすぎないんです。これ(=誰かがしてくれるサービス)を待っているだけの話なんです。」

 

これを聞いて、僕が長年持ち続けてきた感覚の正体が分かりました。

 

"消費ばかりする人はダサい"という感覚

 

僕がゆとり世代で何不自由なく生きてきたからなのかもしれませんが、

どうしても、ダサく見えてしまうんですよね。

 

お金をバンバン使って豪遊したり、

リッチな家とかモノをたくさん所有することが。

 

その反面、

 

お金はないけれど世界中を旅している人だったり、

お金はないけれど、ものやサービスを作ることに夢中になってたり、

お金はないけれど、自分の趣味に没頭している人だったり。

 

とにかく、なりふりかまわずに自分の衝動に従っている人。

そういう人を見ると、かっこいいなー!って思います。

 

 

そういうふうに思うのは、

ただ単に、好きなことをしているから憧れるってだけじゃないんですよね。

ちゃんと、理由があるんです。

 

自信をなくしてしまった人は、お金で自信を買うようになる

男は収入にとらわれている

 

これ(大見出し)もスピーチでチラッと語られていることですね。

 

 ずばり、僕らは(特に男は)自分の収入を気にしています。

 

もちろん僕だってそうです。

 

自分の思考を観察していれば分かるんですが、

 

例えば

仕事を選ぶとき、

誰か初対面の人と会う時、

あるいは気心の知れた友人と会うときでさえ、

僕らは自分の年収と相手の年収を無意識に比較しています。

 

最近、高校で同じ部活だった友人の就職が決まったのですが、

その時も反射的に収入がいくらになる見込みなのか、聞いている自分がいました。

 

「年収いくら??」

 

自信を金で買おうとするとドツボにハマる

僕は一時期、トレンドアフィリエイト(アクセスが集まりやすい芸能ネタやニュースを記事にして稼ぐ方法)をしていたことがありました。

 

会社で働くことが嫌になって、

このまま定年までこれが続くのか・・・と絶望していた時に、

 

「片手間・不労・ほったらかし」で月に数十万円が稼げる、と聞いて飛びついたんです。

数十万円で教材を購入して勉強しながら、

「月に1000万円稼ぐ自分」を想像してニヤニヤしていたんです。

 

結果は・・・1記事しか更新できませんでした・・・(笑)

 

芸能とかトレンドニュースにまっっったく興味がないくせに、

「将来、楽に大金を稼げるようになる!」ってコンセプトにつられたせいで、

目標は高いものの、目の前の作業には全く身が入らずドロップアウトする

という経験をするハメになりました。

(※教材自体はすごくまともだったけど、結果がでるまでに少なくとも3ヶ月はかかる方法だった。)

 

これって結局、

 

自分の好きなことをやる自信がなかったために、

やりたくもないことをお金のために続けて、

その稼いだお金で自信を満たそうとしていただけだったんです。

 

お金で自信を買おうとしていたんですね。

でも、それはうまくいかない。

だって、その行為自体がまさしく「自信のなさ」の表れだから。

 

本当に自分に自信がある人なら、他人になんと言われようと、

好きなことをやって、生きていける程度のお金があれば満足できるはずですよね。

 

でも、僕も含めてほとんどの人にはそれができない。

 

だから、なりふりかまわず自分の好きなことをやっている人を見ると

かっこいいなー!って思います。

 

もうほとんど憧れですね(笑)

 

失敗を恐れず、やりたいことをやろう

 

やっぱり結論はここに行き着きますね(笑)

 

これは僕の考えですが、結局、

「失敗を恐れず」

「やりたいことを自分で決めて」

「自分が納得するまでそれをやり続ける」っていうのは、

つまるところ、"自信がある人"の態度なんだよなぁ、と改めて思った次第です。

じゃあ自信が欠乏気味の人でも、それをやれば自信がつくじゃん!ってことですね。

 

ということで、やりたいことをやろうよ。みんな。(2回目)

 

以上、コクトーでした!!

 

今日はとあるTED動画をあなたに紹介します。

きっかけはたまたま見つけたあんちゃさんのブログから。

 

 

めちゃくちゃ感動しました.

 

なんというか、この人の話は”自分のことと”して素直に聞けるんですよね。

 

どういうことかというと、例えば、スティーブ・ジョブズとかビル・ゲイツみたいな、いかにも「できそう」な人達が"夢を持ち続けることの大切さ"を説いても、普通の人は本気で聞く耳を持てないと思うんです。

 

「持たない」ではなくて「持てない」。

 

だって彼らは世界レベルの成功者で一般人とはスケールがあまりにも違いすぎるし、日本人から見たら外国人なので背景となる文化も違うし、そのうえいかにも「できそう」だから。

 

心のどこかで、「言ってることは分かるけど、それはあなただからできたんでしょう」となってしまう。

 

でも、植松さんは日本人。それも、見た目はそのへんにいる普通のおじさんです(失礼な言い方ですみません。僕はめっちゃ尊敬してます。)

 

だからこそ、彼の言葉は多くの”普通の日本人”にとって”自分のことと”して聞けるんです。

違和感がない。親近感が持てる。

 

しかも、いわゆる「できそう」に見える人ではない。

過去の回想を話すところで、思わず泣き出したりしちゃってますからね。

 

思わず僕もつられて泣きそうになってしまいました。

夢ってなんだろう?

自身の経験から植松さんは言います。

「”どーせ無理”という言葉が人の可能性と自信を奪っている。」と。

そして

「”どーせ無理”という言葉を使うのは”やったことがない人達だ”」とも。

 

彼はおじいさんの影響で、幼い頃から宇宙やロケットが大好きで、関連する本を読み漁って勉強していたそうです。

でも、そのぶん学校の勉強はほったらかしだったので、中学校の先生から、

「そんな夢みたいなことは諦めなさい。宇宙開発なんてのはすごく頭の良い人達のすることで、お前には無理だ。」などと言われ、すごく苦しんだそうです。

 

これはもしかしたらあなたも心当たりがあるんじゃないでしょうか。

 

僕はあります。昔から不器用で容量の悪い人間だったもんですから。

でも、直接そういうことを言われたことがあるわけじゃないんです。

日々の人間関係・やりとりの中で、いじられたり、軽んじられたり、見下されたりするたびに、どんどん自信を失っていきました。正直、今だってそうですよ。

 

でも、だからこそ植松さんのこの言葉にすごく励まされました。

植松さんの”夢”の定義はこうです。

 

いまできないことをおいかけるのが夢

奇しくも、僕が今座っているデスクの正面には、こんな言葉が書かれた紙が貼り付けられています。

「現在や過去ではなく、未来(=可能性)だけを見よう。それに投資しよう」。

 

・・・そうなんです。問題なのは過去や今の自分ではないんです。

 

自分が何をやりたいのか

何に情熱を感じるのか

どうなりたいのか

何をしたいのか

 

が大事なことで、過去や今の自分を基準に自分の可能性を決めてしまってはいけないんです。

 

そして、今の自分は理想には届いていないけれども、、未来において、必ず実現させてみせる。だから今、努力する。

好きでやっているのだから、未来のためのその努力も苦にはならず、むしろ今を充実させてくれる。

 

本来、”夢”とそこに至るまでの”プロセス”はこうあるべきなんですよね。

考えてみればあたりまえのことです。

 

「いまできないことをおいかけるのが夢」

 

この言葉は、そんな当たり前のことをはっきりと僕らのマインドに刻みつけてくれます。

 

教育とは何か・・・?

 

これは僕が個人的に心に刺さった言葉です。(動画の15分30秒あたり)

 

「教育ってなんでしょうか?教育っちゅうのは、失敗の避け方とか責任の避け方っちゅ

う要領のいい生き方を教えるためのハウツーでしょうか?全然違いますね。

教育っちゅうのは、死に至らない失敗を安全に経験させるためのものだったんです。」

 

すごく腑に落ちた。教育という言葉はあまり好きではなかったのだけれど、この言い回しのおかげで、教育という言葉が好きになった。

 

さらに続いて曰く、

 

「でもそれが、すっかりおかしくなってしまったんです。なぜかというと、

 失敗をマイナスだと思っている大人がたくさんいたからなんです。」

 

こういう大人達の影響で、失敗することがまるで大きな罪であるかのように感じるようになってしまうんです。

日常の些細なことですら、失敗を恐れていませんか?。(少なくとも僕にはこういう一面があります)

 

ましてや、自分のやりたいこと、ワクワクすることをやるなんて言ったら、

 

周りからどう思われるだろう・・・?

馬鹿だと思われないだろうか・・・?

失笑を買わないだろうか・・・嫌われないだろうか・・・?

どーせ無理、などと悪口を言われないだろうか・・・?

 

・・・こんな思考が頭の中を駆け巡り、結局、無難なことしかできずに1日が終わる。

その繰り返じゃないでしょうか?

 

 

でも、もういいんですよ。

そんな無意味な繰り返しからは抜けだしましょう。

周りの人間はどう思うか・何をしているかははどうでもいいです。

 

ただ、自分は己の可能性を信じて、挑戦してみよう。

 

 やったことがないことをやってみよう!

植松さんは言います。

「自身をつけるためには、やったことがないことをやってみよう。

 それをやるだけで、ちっこい自身が湧いてくる」

 

これも、成功哲学などでよく聞く言葉だけれど、植松さんがいうと説得力がありますね。

そして、この方法は正しいと僕も実感しています。

 

このブログを始めたことだって、「やったことがないことをやってみる」に基づいた1つの具体的なアクションですから。

 

やることはなんだっていい。

 

筋トレでも、料理でも、読んだことがない本を読む、でも・・・なんでもいいんです。

 

とにかく、今と同じことをやっていては永遠に現実は変わらない。どころか現状維持さえままならない。自分は勝手に歳を取り、世の中はどんどん変わっていくのに、自分だけ同じことをしていてはダメだ。

だから、なんでもいい。自分で決めて、やってみよう。新しいことを。

 

感動しすぎてめちゃくちゃな文章になてしまった・・・(焦

でも、この気持が少しでも伝われば幸いです!

以上、コクトーでした!

はじめまして。コクトーと申します。

以前FC2の方でほんの少しだけブログをやっていたのですが、あっという間に放置状態となり、これじゃあいかんということで心機一転。はてなへ参りました。

毎日とはいきませんが、定期的に更新していきたいと思います。

自己紹介

平凡な、あまりに平凡なコクトーのプロフィール

1990年 10月生まれ。兵庫県在住。現在26歳

県内でサラリーマンとして勤務している。

中肉中背。働き始めてから3~4キロ程太った模様。

 生まれも育ちも兵庫県。

中学・高校ではテニス部に所属しており、大学では何故か音楽をやってみたくなり

クラシックギターを始める。が、自分のあまりの不器用さに愕然とする。

紆余曲折を経て現在の会社に就職。社会人として3年目を迎える。(2016年現在)

休日はテニス・旅行・飲み会・カラオケ(1人も)で時間を潰す日々をおくる・・・・・・・

特技:特に無し

情熱を捧げるもの:特に無し

そう、コクトーという人間は、あまりに平凡な生活を送っているのです・・・!

 このブログをはじめた理由

それはひとえに、今の生活がつまらないと思ったから。

だから、新しいことを初めて、自分の世界を広げたい!って思ったんです。

毎日毎日、仕事や趣味、遊びに時間を費やして、はたから見ればそれなりに充実した生活をおくっているはずなのに、ちっとも面白くない。

これはいったいどういうことだろう・・・?

今まで苦労して勉強し、就職し、働いてきた。

今まで、周りがよしとすることに、ほとんどの場合は従ってきた。

働いて、まっとうな社会人になれば、勝手に充実した人生になるものだと思っていた。

・・・そりゃあ社会人がすごくしんどいものだということは分かっていましたよ。少なくとも日本人である限り、子供の頃から、誰しもが一種の「社会への恐怖」を植え付けられて育つものだと思います。

(「そんなんじゃ社会では通用しない」「人に迷惑をかけるな」「空気を読め」「仕事ができないのはダメ人間」・・・etc)

で、親や教師や周りの大人、テレビで見る人達はどこかしんどそうで、いつもどこか緊張しているように見える。自然体じゃない・・・なんか、煮え切らない感じがする。

 なんとなく、そんな感覚を世間一般の大人に対して抱いていました。

だけど、なんだかんだ言っても、それなりに自分の今の生活に満足しているんだろう。

だからしんどいことがあっても頑張れるし、今やっていることを続けていられるんだろう。自分も大人になれば自然とそうなるに違いない・・・そう思っていました。

だけど、全く違いましたね。なんというか、しっくりこない。

なんといえばいいのだろう。こう・・・しつらえられた枠の中で遊んでいるだけのような、そんな感じがするんですよね。

ツアーで海外旅行に行った時の感覚、といえば分かりやすいかもしれない。

それなりに楽しいけど、自分が見ているものって結局は本物じゃないよね。お客様用に加工されたものだよね、みたいな、あの感覚です。

それで何の問題もない、満足だ、って人もいるんでしょうけど、僕はちょっと満足できないなぁ・・・というより、そういうのはあってもいいけど、それをメインにして生きていくのは、嘘っぽすぎて無理だな・・・って感じです。

このブログでやりたいこと・伝えたいこと

なので、このブログでは思ったことや自分なりに考えたことを正直に書いて、世の中の皆様に発信していきたいと思っています。

そして、平凡で退屈な生活を送る人間が、どのようにして人生を変えていくのか、僕自身を実験台にして皆さんにシェアしていきたいと思います。

自己紹介はこれぐらいです。ちょっと何をいっているのか分からない(JOJO的な)部分もあったかとはおもいますが、まだ僕も自分自身を掘り下げている最中ですので、随時加筆修正していきます。

コメントも気軽に書いていってくださいねー!

以上、コクトーでした!