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エネルギー2

「金の貴族」が国家の作り手であり、その「国主(金の貴族たち)」が編み出した「信用創造」による「経済」は、彼らが持っている本物の資産を無価値にしてしまい。そのような金の貴族を集団自殺させるフリーエネルギーは決して認められないと書いた。

すでに多くの人々が内心理解しているように、現在のあらゆる国策は国民のために編み出されるのではなく、お金を持つ人々がより多くお金儲けができるか否かによって、国費=国債(国の借金)が投下される。その金利は福利であり国民の借金は増え続けることはあっても、減ることはありえない。

これは金の貴族が支配する国家の全てにおいて共通しており、国内インフラ及び企業の初期投資という膨大な経済行為による借金を作り終えた、成熟した国家の宿命として破壊活動や戦争が起こらないとするのならば、金の貴族の延命のために国家財政の出動しか打てる手はなく、国家の借財というマジックは毎年増え続ける。

ここで国民である我々が誤解しているのは、国家の財政が国民の税金によって賄われているという神話である。税金を徴収するのは国家が企業にお金を貸し、企業がそれで利益を出し企業と社員(国民)が借りたお金を国家に返済する。それを媒介するのが銀行であるという物語である。(銀行による普通企業への貸付には、政府保証の資金が膨大にあり、政府が銀行の保護者とおもわれ気味だが、実態は銀行の奴隷が政府でありそれ以外ではない)

しかし実際は国家が国債を発行し続け、それが最早誰も返えせっこない金額に膨れ上がっているにも拘わらず、財政出動として莫大な国債が新たに信用創造される。もう金の貴族が作り上げた「経済学」はとっくに滅んでいる。にもかかわらず日本・米国・EU他の国家は、その経済学がまだ健全であるかのように振舞っている。


信用創造
お金を作るのではなく創るのである。無から手品のように創造するのだからスゴイ。戦国から江戸期を通して日本人はそのような事を考え付けなかった。逆に上方と江戸の貨幣価値の差をいいように利用されて、日本からの金の過剰流出を招いていた。そこに終止符を打ったのが小栗上野介の小判改鋳であり、その仕組みを知らされたのが三井中興の祖三野村利左衛門だった。

三井が西洋式の銀行に並々ならない関心を抱いたのは余りにも当然だったし、明治政府は三井もとい三野村利左衛門のおかげで列強の銀行の奴隷にならずに済んだのかも知れない。無限のお金、求められるがままに筆一本さえあれば、銀行券という紙切れを、国内津々浦々に流通させられる神通力。それが信用創造の本質であり、明治以降千数百年にわたって築かれた世界一約束を遵守する日本民族の信用がそれをサポートした。

現在でも世界で信用を得ている銀行は、ことごとく日本の銀行各社であり欧米の銀行ではない。前回も書いたように遊牧民にルーツ(カザール)を持つ金の貴族達は、金細工師の頃からいかに人々を騙すか! に心血を注いでおり、ネイサンロスチャイルドがワーテルローの戦いで大博打を打って欧州の過半の富を独占したのも、1929年の世界大恐慌を仕掛けてぼろ儲けしたのも、1913年ルーズベルトを囮にしてウイルソン大統領が当選し、クリスマス休暇にFRBを不正投票によって認可させたのも信用創造の発明家の末裔たちである。

そして現在も金融システムのルールづくりを独占している。私がポリネシア・台湾・沖縄・済州島・九州南部・土佐・東北以北にルーツを持つイレズミ文化を共有する縄文人の八百万の神と盗まない。うそをつかない文化を敬愛し、武家の多くが縄文人(関東武士団)にルーツをもち、その総数が古代キリスト教の伝道者、秦氏の数多ある神社の量を軽く凌駕し日本人を日本人ならしめていることに深く感動するからである。

会津の「十の掟」など、遊牧民族に蹂躙されていた大陸では決して持ち得なかった道徳規範である。このような生活習慣を持っていたと思われるアメリカインデアンや南米のインディオは尽く征服されてしまった。奇跡的に日本民族のみが、九州の薩摩や肥後や東北の安部一族や藤原清衡にみる縄文人の末裔の武装勢力として台頭し、狂おしいほどに先進的な武具にあこがれ、それを「武家のたしなみ」として発展させていった。

反対に貴族文化を作り上げたのは渡来人と言われる霊媒、土木、養蚕、タタラ等の技術を持って渡ってきた遊牧民族の末裔と、彼らが支配していた職人集団であり、嘘と支配と謀略に長けた民族であった。

幸いな事にアメリカインデアンのように闘争心があり、新しい技術の習得に熱心な縄文人の血が圧倒的な人数を誇っていた。様々な歴史家が断言するように東北の地は、米作には適さなかったが様々な自然界の富を生産する豊かな台地だったことである。

米作は江戸時代になり価値の基準が米となったために、東北にも普及した技術であり、その本格的な普及には科学的な品種改良を実践学問とする、明治を待たなければならなかった。それまでは東北と冷害は切り離せなかった。


国主の信用創造
世界中の9割以上の人々は自分の生活とは何ら関係がない、永遠の成長も激しい競争も望んではいないだろう。それを望まなければ自壊してしまう金の貴族と、競争のみが自社を成長させると信じる危ない企業だけがそう信じているのではないだろうか。

150年以上前の国主が領主であった時には、領主とその一族が作り出すものや一族の利益を保証するものが正しい「信用創造」であり、モンゴルはフランス・イタリアまで攻め込み、信用を創造しその後ヨーロッパは第一次、第二次百年戦争を繰り返し、日本では戦国時代から江戸時代まで信用をめぐる戦いが繰り広げられた。

ヨーロッパの二度にわたる百年戦争に、金の貴族たちは空気から作ったマネーをそれぞれの王国に貸し出し、その金の力で王族との婚姻を重ねて貴族に上り詰め、大航海時代の資金を空気マネーで都合し、植民地経営にも産業革命にも空気マネーは活躍し、金の貴族が言うところの本物の資産を世界中から手に入れた。その信用創造(植民地)も日本を敵国とし、戦争を仕掛ける事で消えてしまった。

今この信用創造が世界中の9割以上(オキュパイ運動では99%と言う)の人々には何の益もないものであり、その巧妙な仕組みはすでに力を失っている。それをかろうじて支えているのは、返す予定のない年毎に生み出される国債と言う国の借金であり、それ以外に国家を運営する手段がないということであり、清廉潔白を主張するバカくさい経済学者のみが増税を主張する。誰の目にも増税では対処できないほどの国家の借金が積み重なっており、将棋ならばもう詰んでいる。

90%の人々が金の貴族に代わって「国主」の座に就くことによって、90%による90%のための「信用創造」が可能となり、銀行券に代わって国家紙幣を発行し、国家の借金を一掃する事ができる。どういう意味かと言うと、作れば借金になる銀行券の額面に相当する国家紙幣を銀行に渡すことによって、借金は帳簿上なくなり利子を支払う義務も無くなる。

銀行の信用創造が空気から作っている以上、国家紙幣と言う国主の信用創造も同様の価値があり、二度と国家は銀行から借金する必要がなくなる。150年前の文字を書けない三井の大番頭、三野村利左衛門が考え理解した事を現代人の我々が理解できないはずがない。メガバンクの行員ですら知らないと言われる信用創造の中身は、実は知ろうとすれば現在は中学生ですら簡単に理解できる。

フリーエネルギーは全ての人々に地球温暖化とは無縁のエネルギーを、有り余るほどに届けることが簡単にできるし、産業用麻とセメントによって日干し煉瓦のように簡単に製造できる建材は、30センチ以上の厚みにすることで、空調費用がほとんどかからない抜群の強度と耐用年数を誇る超優良建材になる

ただ同然のエネルギーは永久磁石と電磁石の組み合わせによる発電機と、水を簡単にガス化するHHO技術によって無限に製造が可能である。シェールガスや天然ガス等が新聞紙上を賑わすのは、社会の必要を満たすことで了とする社会的な富の生産に軸足を置くのではなく、金儲けという競争に原点を置き社会ではなく、個の利益追求を社会的な正義とする古臭くなった哲学を信じる事しか出来ない勢力の理想である。

不必要な競争は社会の不信を増徴するだけであり、社会的な富の生産には邪魔者ですらある。

次回はエネルギー自給への取り組みについて