伊与久雷電神社(群馬県伊勢崎市境伊与久) | まほろば御朱印紀行

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 群馬県伊勢崎市境伊与久にある伊与久雷電神社に参拝してきました。

 伊勢崎市の中でも南東になります。深谷市にも近いかもしれません。

 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【雷電神社】
 群馬県佐波郡境町伊与久に鎮座。祭神は大雷神、配祀は高於加美命、倉稲魂命ほか九柱。雷災除けの神として信仰される。例祭は3月25日の春祭りで太太神楽を奉納する。雨乞祭りの神輿渡御がある。
 建保三年(1215)に赤石城主の三浦之介義澄が創建した。新田義貞が社殿を修造し、戦勝を祈願した。永禄三年(1560)に赤石又次郎が領地の安全を祈り、祭供料や神領を寄進した。代々の領主が社殿の修理や祈雨の祭典を行い奉幣した。」


 鳥居になります。
 手水舎。
 神楽殿。
 二の鳥居。
 社殿は古墳の上に鎮座しています。
 大雷命を祭神とする神社。板倉雷電神社からの勧請かと思います。

 古墳の由緒は次の通りです。
「伊勢崎市指定史跡 
 雷電神社古墳
   昭和五十二年三月十一日指定
 雷電神社古墳は伊与久地区の北方に位置し粕川と早川の支流である中掘に挟まれた低台地上に築造された古墳であり、本古墳北側には十三宝塚遺跡が広がる。『上毛古墳綜覧』によれば、本古墳の周辺には多数の古墳があったとされるが、現在では殆ど消滅している。従って伊与久地区の古墳を知る上で貴重な古墳である。
 本古墳の形態は主軸を東西にとり、前方部を東に向ける全長約50㍍程の前方後円墳と考えられる。現在ではくびれ部なども明確でない程に削平・変形されてしまっているが、西側には後円部の名残がわずかに認められる。遺骸を葬った主体部は南に開口する両袖型横穴式石室であり、現在の神社本殿の真下あたりと考えられる。現在では補修が著しいが、比較的旧状をとどめているのは玄室部で、長さ4.7㍍、奥壁下幅1.35㍍、中央部幅2.12㍍、入口幅1.15㍍とやや胴部の張った形である。この石室を構成する石材は榛名山系の二ツ岳が噴火した際に噴出したとされる安山岩の一種であり、その加工技術・石材の積み方は精巧である。
 明治年間に発掘されたとされるが、遺物は殆ど残っておらず、石室の形態、石材の加工技術などから七世紀後半の築造と考えられる』」

 御朱印は、近くの社会福祉施設にて頂けます。



神社名:伊与久雷電神社
鎮座地:群馬県伊勢崎市境伊与久3581番地
祭 神:大雷神
配 祀:高於加美命 火産霊命 罔象女命 建御名方命 大日孁命 保食命 倉稲魂命 菅原道真命 誉田別命 櫛御気野命 最上命 大物主命 素盞鳴命 日本武命
社格等:旧郷社