令和5年11月11日の1並びの日に群馬県伊勢崎市茂呂町にある飯福神社に参拝しました。
由緒
「当社の創建年代は明らかではないが、伝承によれば、建武年間(1334~36)に宗良親王が父君後醍醐天皇の命を受け征東将軍となって東国に赴いたが、御子の尹良親王薨去後は新田一族を率いて王事を尽していた。
その宗良・尹良両親王の御息所にちなんで、ここに『位々登美』の御神霊を奉祀した事が始まりとされている。
その後は那波氏によって再興されたが、正親町天皇の御代の永禄五年(1562)、北條氏の兵乱に遭って社殿は悉く破損した。しかし、由良氏によって修理がなされ、天正年間(1573~92)には、竹姫公の采邑となった。
江戸時代に至ると、伊勢崎城主酒井日向守忠能によって修理が加えられ、明治維新以来は氏子の経営するところとなった。
明治七年(1874)、村社に列せられ、同四十年(1907)九月十七日、境内末社の愛宕神社・秋葉神社・菅原神社、字堤の飯福神社・同境内末社の琴平神社・八幡神社、及び字宮上の秋葉神社、字白山の白山神社・同境内末社の菅原神社・疱瘡社を合祀して今に至る。
境内には、大正十四年(1925)建立の『古銭発見碑』があり、以前は桜の名所でもあった境内地を氏子達は『カミノヤマ』(上之山)と称している」
その宗良・尹良両親王の御息所にちなんで、ここに『位々登美』の御神霊を奉祀した事が始まりとされている。
その後は那波氏によって再興されたが、正親町天皇の御代の永禄五年(1562)、北條氏の兵乱に遭って社殿は悉く破損した。しかし、由良氏によって修理がなされ、天正年間(1573~92)には、竹姫公の采邑となった。
江戸時代に至ると、伊勢崎城主酒井日向守忠能によって修理が加えられ、明治維新以来は氏子の経営するところとなった。
明治七年(1874)、村社に列せられ、同四十年(1907)九月十七日、境内末社の愛宕神社・秋葉神社・菅原神社、字堤の飯福神社・同境内末社の琴平神社・八幡神社、及び字宮上の秋葉神社、字白山の白山神社・同境内末社の菅原神社・疱瘡社を合祀して今に至る。
境内には、大正十四年(1925)建立の『古銭発見碑』があり、以前は桜の名所でもあった境内地を氏子達は『カミノヤマ』(上之山)と称している」
鳥居
神社名:飯福神社
鎮座地:群馬県伊勢崎市茂呂3412番地
主祭神:保食神
配祀神:大物主命 誉田別命 火産霊命 倉稲魂命 菅原道真命 菊理姫命 最上命
社格等:旧村社