倭文神社 令和6年1月7日参拝(群馬県伊勢崎市東上之宮町) | まほろば御朱印紀行

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 群馬県伊勢崎市東上之宮町に鎮座する倭文神社に参拝する。
 伊勢崎市内から外れており長閑な地区にある。
 駐車場は見当たらないので、境内の北側にスペースがあるのでそこに停めた。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【倭文神社(しどりじんじゃ)】
 群馬県伊勢崎市東上之宮町甲の旧郷社。延喜式内社。祭神は天羽槌雄(あめのはずちおの)命ほか九柱。
 例祭は4月16日。1月14日・15日には田遊祭かわある。
 垂仁天皇三年の創建と伝える。貞観三年(859)に従五位下を授かる。上野国九の宮となり、国内神名帳には従一位倭文大明神と記される。菅栄年間(1624〜1644)に再建され、慈眼寺実秀が別当となる。慶安元年(1648)に朱印地十石が下せられた。」

 こちらの神社の由緒は、次の通りです(東京堂出版刊『神社辞典』による)。
「群馬県伊勢崎市東上之宮町。旧郷社。しとりさまと称され垂仁天皇三年の創建と伝え、天羽槌雄を祀る。上野国九の宮。
 『三代実録』によると貞観三年(859)8月17日に官社に列し、同二十日に従五位下をうく。『上野国神名帳』によると『倭文大明神』と見える。社殿は戦国時代に焼失し、享保十二年(1727)再興、慶応三年(1867)焼失、明治十三年(1880)に再建する。
 例祭は1月14、15日。14日に田遊び神事が行われる。」


  入口です
 鳥居。
 いわゆる両部鳥居になる。

 竹で作られた鳥居みたいなもの。
 宮司さんに聞いたところ「鳥居がなかった頃からこのようなものを作っていて、特に名称はないが、倭文神社伝統の正月飾り」だそうです。こういうのは初めて見ました。

 田遊び神事の案内板。
 由緒は次の通り。
「伊勢崎市指定重要無形民俗文化財 倭文神社の田遊び
 平成十九年八月十七日指定
 倭文神社の田遊びは、上之宮町の倭文神社で毎年1月14日に行なわれる田植えの予祝行事です。
 笹竹を持つ祭員が笹竹を振り、ご神歌を奉唱しながら鳥居と拝殿を三往復した後、町内を巡行します。戻ると再び鳥居に整列し、鳥居と拝殿の間を三往復します。
 昔は最後に参会者による笹竹の奪い合いがあり、この竹で蚕箸を作ると蚕が当たるとされていました。
 この田遊びの、ご神歌は中世期まで遡り、貴重です。

御神歌
 エートゥ、エートゥ
 まえだの鷺が御代田にぎろり
 きろぎろめくのは なんだんぼ
 一本植えれば千本になる
 とうとうぼうしの種

 エートゥ、エートゥ
 乾のすまの掃部の長者
 つじゅう十石ざらり
 ざらざらめくのは なんだんぼ
 一本植えれば千本になる
 とうとうぼうしの種

 平成二十年三月一日」

 倭文神社の案内板。
 案内板による神社の由緒は以下の通り。
「当社の御祭神は、天羽槌雄命で、その歴史は古く機織の祖神として、また農耕、養蚕の神として尊崇されてきた。
 その創建は、人皇第十一代垂仁天皇の御宇三年と伝えられているが、これを明らかにする証跡は、現在不明となっている。貞観元年(859)に官社に列せられ、従五位下を授けられた。(三代実録)その後、延長五年(927)に撰集された『延喜式』神明帳の中に倭文神社の名が載せられ、上野神明帳には、『従一位倭文大明神』とあって、上野国の九之宮とも称された。
 その後、戦国時代の争乱にまきこまれ、一時荒廃したが徳川氏の江戸入部以来関東地方も次第に平和をとりもどし、元和年間(1615~23)から寛永年間(1624~43)に入る頃は、社殿も再建され、別当寺として、新義真言宗宮川山慈眼寺が定めなった。以後近世を通じ倭文神社は慈眼寺の管理下におかれた。三代将軍家光の慶安元年(1648)九月には、御朱印地十石を賜わり、漸く安定した神社経営が行われ、祭事も復興し、神威もいよいよ加わるに至った。その後約八十年を経て、享保十二年(1727)八月には、八代将軍吉宗から社殿再建勧進の許可を得て上野国はもとより、江戸府内からも浄財の寄進を仰ぎ、旧にまさる荘厳な社殿鳥居などが再建され、大いに隆盛をきわめた。しかし、この社殿も慶応二年(1866)十一月九日再度火災に会い、悉く灰燼に帰してしまった。現在の社殿はその後、明治十三年十月二十四日(上棟)に再建されたものである。なおさきの御朱印地十石の斎田は、明治維新の際上納され、また明治元年の神仏分離令により、別当寺や社僧の制も廃止され、神職によって祭祀される現在の姿となった。
 その後区内の小社祠の整理合祀も行われ、この間郷社に列せられた。また大正十四年には、神饌幣帛料供進社に指定された。
 今次大戦後は、国家神道や社格もなくなり、純粋な上之宮町の鎮守として今日に至っている。」

 蚕霊神社
 養蚕の神様でしょうか?

 恵比寿様がいらっしゃった。
 左から少彦名命、道祖神、双体道祖神、道祖神。
 神楽殿
 境内左側には弁財天社がある。
 熊野神社
 熊野神社の右隣から市杵嶋神社、八幡神社、天満神社、天神社、三社神社。
 八坂神社。
 社殿
 祭神は天羽槌雄命(あめのはづちのみこと)。祭神の天羽槌雄命は、機織りの神様である。伊勢崎市は伊勢崎銘仙があるのでそれで祀ったのかもしれません。
 社格は旧郷社、延喜式内社、上野國九宮。垂仁天皇の御代に創建と伝わる古社。上野国神名帳には「従一位倭文大明神」と記載される。
 江戸幕府三代将軍徳川家光より十石の朱印地を賜る。特殊神事として田遊び神事が行われる。

 倭文神社の御朱印は、宮司さんが兼務社の高山神社にいらっしったのでそちらで頂きました。
 中央は神代文字になる。宮司さんの説明によると「何と書いてあるかわからない。鳥取の伯耆国倭文神社の眷属は蛇だから『へび』ではないか」とのことです。



神社名:倭文神社
鎮座地:群馬県伊勢崎市東上之宮町380番地
祭 神:天羽槌雄命
配 神:倉稲魂命 木花咲耶姫命 誉田別命 菅原道真命 大己貴命 素盞嗚命 豊受姫命 大山祇命 菊理姫命
社格等:延喜式内社 旧郷社 上野國九宮