八幡山薬師院赤城寺 月替り十三仏御朱印(群馬県前橋市鼻毛石町) | まほろば御朱印紀行

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 群馬県前橋市の北東部にお寺はありました。

 最寄り駅は、上毛電気鉄道樋越駅or大胡駅ですが、徒歩で行くのはむりです。
 自動車で行かれたほうが良いかもしれません。

 お寺専用の駐車場はありました。


 こちらのお寺の由緒は次の通りです(由緒書による)。
「真言宗豊山派
 八幡山 薬師院 赤城寺
 本尊 大日如来  開基 元和八年
 前橋市指定重要文化財
  赤城寺の石
  種字十三仏塔
  北爪将藍の供養塔
 赤城寺は元和八年円筒上人によって開基され、寺の伝承では現在よりも10㌖ほど北の地にあったとされる。明治十二年の『上野国寺院明細帳』では寺号を石城寺としており、明治三十一年に火災で本堂・庫裏・本尊などを焼失、翌三十二年に再建し現在の赤城寺と改めた。戦国時代末期に小田原北条氏に仕えた北爪将藍一家の菩提寺として供養前橋市指定重要文化財となっている。」

 入り口
 参道右側には新しい石造薬師如来坐像がおわした。
 案内板によると次の通りです。
「血縁お薬師さま
 仏さまとご縁を結ぶことを 血縁(けちえん)といいます
 お薬師さまの手元から伸びた 五色線をにぎって血縁をしましょう
 仏教の伝わった飛鳥時代から お薬師さまと五色の線を通じて病気平癒や疫病退散が 祈られていました
 左手に薬壷(やっこ)をもち 除病安楽を願う 仏さまです」

 左側がお地蔵様、右は北爪将監の供養塔と思われる。
 北爪将監の供養塔の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「前橋市指定重要文化財 北爪将監の供養塔
 指定年月日 昭和53年4月1日
 所在地 前橋市鼻毛石町330 赤城寺
 本供養塔は、江戸時代後期の享保十一年(1726)に建てられたものである。
 北爪将監は、戦国時代末期の小田原北条氏に仕えた鼻毛石出身の豪族で、子孫にあたる鼻毛石の北爪家には、小田原北条氏第三代北条氏康の四男、北条氏邦からの感状など北爪将監宛ての文書が残されている。なお、本供養塔を改修した際には、かめの中から遺骨の他、冑や経文などが見つかっ たといわれている。」

 お地蔵様。
 本堂。
 こちらのお寺は「赤城寺」と書いて「せきじょうじ」と読むそうだ。元は「石城寺」と書いて「せきじょうじ」と読ませていた。こちらのお寺から車で十数分の所にも「赤城寺」はあるが、あちらは真言宗智山派で成田山新勝寺の教会にあたり、「あかぎでら」と読む。山号は「成田山」だ。
 元は薬師如来を本尊としていたそうだ。残念ながら火災で焼失してしまい、替わりに大日如来が遷座したそうだ。
 
 六地蔵の石幢だそうだ。
 案内板によると次の通り。
「前橋市指定重要文化財 赤城寺の石幢
指定年月日 昭和53年4月1日
所在地 前橋市鼻毛石町330 赤城寺
 本石幢は、凝灰岩製で角柱型の身のみが残存し、上段に阿弥陀如来、下段に六地像が刻まれている。風化が激しく銘文の確認はできないが、鎌倉時代のものと推定される。」

 御朱印は、境内の右側にある庫裏にて頂きました。御本尊と月替り十三仏御朱印の2種類がありました。御朱印代は各300円です。お供物としあわせ貝守りが付きました。有り難い限りです。

 祈祷祈願も行っているそうですので、お寺に問い合わせてください。

 先程説明した「成田山赤城寺」からも遠くないので同じ寺号のお寺を参拝できる。三夜沢赤城神社や産泰神社からも遠くはないです。



寺院名:八幡山 薬師院 赤城寺
所在地:群馬県前橋市鼻毛石町330番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:なし