群馬県太田市にある真言宗豊山派の寺院。
お寺専用の駐車場はあります。
こちらのお寺の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「【奈良県の長谷寺を総本山とする真言宗豊山派の寺院】
寺伝によると、源義朝の長男義平は新田義重の娘婿といわれ、鎌倉悪源太と称される。平治の乱には父に従い、平清盛を討とうとしたが戦いに敗れ越前に逃れた。その時に父の死を知り、急きょ京に引き返し清盛の暗殺を企てたものの捕らえられ六条河原で切られた。永暦元年(1160)源義平没後その妻が父新田義重を頼り世良田郷に住み、後に綿打に移り夫の冥福を祈り菩提を弔うため 出家して妙満尼となり治承年 (1180)に一庵を結んだ。このことから妙満足を大開基とし山号を妙満山と称し、その後、南朝の維持に力を尽くした綿打入道爲氏の館が建てられ、 明徳五年(1394)に足利市の小俣鶏足寺から明源房空覚上人を招聘して中興開山第一世として大慶寺を建立した。
その後、慶安ニ年(1649)に徳川家光より朱印七石と境内山林木諸役の免除を受け、また元禄四年(1691)には本寺鶏足寺から京都醍醐寺の末寺となって栄えた。しかし、文化七年(1810)と大正十五年の二度の火災で仁王門・不動堂・大日如来・梵鐘・子授地蔵等以外はすべて焼失してしまった。このように法燈の盛んなりし時は多くの末寺を有し、盛衰の歴史をたどって今日に至っています。」
道沿いには看板が出ている。
由緒書はあります。
寺院名:妙満山 蓮華院 大慶寺
所在地:群馬県太田市新田大根町1000番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
通 称:ぼたん寺
札所等:上州新四国八十八ヶ所 三十五番札所
東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:補陀落や ここは岬の 舟の掉 とるもすつるも 法の蹉跎山