栃木県足利市の中心部から少し西、足利公園の近くにお寺はありました。
寺院専用の駐車場はありました。自動車は十数台位は停められそうです。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「足利七福神 布袋尊 多宝山 福厳寺
当寺は、寿永元年(1118年)藤姓足利(藤原系足利氏) 四代目忠綱、母の菩提と父(綱俊)供養のために創建されたといわれている。 理真上人が、源姓足利義兼と時子夫人(北条政子の妹)と間に男子が授かるよう『変成男子の修法』を行ったったとき、用いられた観音像が1736年に裏山の岩窟から発見され、『子安観音』(秘仏)として所蔵されている。千手観音、セキ地蔵も名高い。
ここに布袋尊が祀られ、大量の福徳を持ち、子宝と子供の病気平癒にも霊験多しとされ、広く信仰されている。 宗派:臨済宗建長寺派」
すぐ近くには緑町八雲神社(森高千里の歌に出てくる神社)がある。
入口。
その後ろには境内の左側には「延命地蔵菩薩」を祀る地蔵堂がありました。
このお堂は福厳寺第二十六世文応和尚の代に建立されたお堂になりますが、平成28年に建て替え工事があったそうです。
祀られるお地蔵様は、通称「セキ地蔵」と言います。この仏様の由緒は次の通りです(案内板による)。
「セキ地蔵尊縁起
このお地蔵様は『セキ地蔵』と呼ばれる延命地蔵尊です。たくさんのタスキが肩や手にかけらるやています。昔、寺の近くの畑から掘り出されたもので、どういう地蔵かわかりません。当時、古老にきいても首をかしげるばかりでした。とりあえず道端に安置しました。明治の初年に現在地にお堂をたておまつりしました。『セキ地蔵』とよばれるようになったのはいつ頃かは不明ですが、呼び名の通りセキドメに効験があると、語りつがれるようになりました。
平成二十八年秋季お堂の建替え工事の際、このお地蔵尊の開眼供養が宝永六年(1709)10月に厳修されたことがわかりました。セキドメをお願いする時は、お地蔵様にかけられたタスキをお借りして行くのだそうです。そのご利益で子供の百日咳が癒るといういい伝えから、子連れのお母さんやゼンソクをわずらって悩んでいるお年寄りなどで大変賑わったそうです。
足利へ反物仕入れに来られた京阪神地方の口コミで、京阪はもちろん四国の方からもお参りに来られたと伝えられています。」
このお地蔵様は、「咳止め」や「喘息除け」のご利益があるそうだ。私も喘息持ちなので拝みました。今は新型コロナやインフルエンザもありますので、このお地蔵様の活躍を期待します。
六地蔵堂もありました。
内部に入り、参拝できました。
「彫刻 木造釈迦如来坐像 一駆(足利市指定重要文化財 平成9年7月1日指定)
製作年代:15世紀ごろ
法 量:像高52.5cm,膝張40.2cm,坐奥37.3cm,光背総高93.5cm
所 蔵:臨済宗建長寺派 多宝山福厳寺
福厳寺の本尊で、本堂中央の須弥壇上に坐しています。本体は檜材寄木造り、表面黒漆塗りで、眼には玉眼が入れられています。
本像の胸前には2枚の衣が表現され、左肩から右肩の一部にか衲衣(上の衣)を着け、右肩には右宗前から出した偏衫(下の衣)で覆われています。下半身には裙(くん)と呼ばれる布をまとっています。両手は禅宗寺院に多い禅定印(腹前で両手を重ねる印)を結び、両足は左足を上にして組む結跏趺坐(降魔坐)をあらわしています。
光背は蓮弁形の中央に二重円相をあらわし、雲形に透彫りされた周縁部に化仏五体をめぐらせています。
本像は、体の形や衣文の彫り方から、南北朝時代に臨済宗寺院の本尊として確立した院派仏師(平安時代の中頃以降組織化された仏師の一派)の作によるものと推定され、室町時代十五世紀頃の作と考えられることから、中世の特徴をあらわす仏像として貴重な文化財です。」
また、「子安観音」がいらっしゃいます。
寺院名:多宝山 福厳寺
所在地:栃木県足利市緑町一丁目3270番地
宗 派:臨済宗建長寺派
本 尊:釈迦牟尼如来
札所等:足利坂東三十三観音霊場 三十一番札所
足利七福神 布袋尊
御詠歌:立ち寄りて 見れば涼しき 清水川 なおむねのひも 消ゆるなるらん