今回は、椿實の豆本「メェゾン・ベルビウの猫」の内容紹介の前に、作家の椿實(つばきみのる)氏をご紹介致します。




読者の皆様には、ほとんど知られていないと思います。

椿実氏は、昭和22年から27年の5年間しか作家活動されていなかった様ですから、無理も有りませんね。


椿実の略歴です。

1925-2002 昭和後期-平成時代の小説家,神話研究家。
大正14年10月31日生まれ。昭和21年同人誌「葦」に参加。22年吉行淳之介 らと第14次「新思潮」を創刊し、「次元」「群像」など幻想的な小説を発表する。昭和27年作家活動を断ち、教員生活に入り、深川商校長などをつとめるかたわら,日本神話 を研究した。平成14年3月28日死去。76歳。東京出身。東大卒。著作に「新撰亀相記の研究」「新嘗の研究」「椿実全作品」「蝶々と紅茶ポット」など。 


長女の椿紅子さんがサイト【椿實の書架】にて、〔序にかえて〕の項で豆本「メェゾン・ベルビウの猫」の事に触れています。


以下、原文を転載致します。

「メーゾン・ベルビウの猫」というタイトル、ビニール・カバー付き封筒で格別 大切に保管された未完の草稿も見つけました。副題は「アメ横繁盛記」で「300枚」と表紙にあり、章立てしたアウトラインと90ページ程書かれている文章です。内容には1960年代半ばの家庭風景、居着いた仔猫を姉妹で飼ったこと、シアトルからの交換留学生Deniseのことなどが入っています。夏目漱石の猫の家から目と鼻の先に住んでいた環境で、ネコものを書きたかった意欲は強く感じられますけれども、この原稿では作品としては纏まっていない段階を表して終わっています。一部は1997年発行の豆本「メェゾン・ベルビウの猫」(桑原倶楽部)の前半に反映されていますが、後半は従前に書いた「メーゾン・ベルビウ地帯」を再録しているので、その段階で残りは未完成だったと思われます。


又、多くの作家と交流されており、〔椿實の遺したもの〕の項では、以下の文章を寄せていますので、御紹介致します。


特に気に入ってくださったのが柴田錬三郎氏と三島由紀夫氏で、個人的交流に繋がり、この二人が昭和24年5月28日の結婚式にご出席下さった。母の師である無教会派キリスト教の植村環先生と揃った写真は、時代とはいえ興味深い組み合わせである。家に残った葉書から推察して褒め方は柴田さんの方が熱狂的だったようだが、同年の父と三島氏はあるレベルで非常に惹かれ合ったようだ。群像に載った「人魚紀聞」を端正な文章であっさり、「今まで拝見した御作のうちで一番私の好きなものです」(1948年9月21日受)と言ってくださった葉書があるのだが、その筆跡だけで私でも参ってしまうだろう、と思う位のインパクトがある。そう思って読むと「人魚紀聞」には三島氏の遺作である「天人五衰」四部作中のシャムの姫君などと近く響きあうエキゾシズムが流れる。直接の交流は永いこと無かったと思うが、三島氏の死後10年以上を経てから父は「三島由紀夫と天人五衰」(「日本及日本人」昭和57年4月)を書き、結婚祝いに手に載せてお持ち下さった紫色カットグラスの小ぶりの花瓶は主亡き今も健在だ。[「人魚紀聞」は河出文庫の澁澤龍彦編「暗黒のメルヘン」(1998)、カッパノベルス 井上雅彦「人魚の血」などにも収録された]


「メェゾン・ベルビウの猫」が収載されている『丑三つ時から夜明けまで〈創元推理18号〉』と、もう一つ「メーゾン・ベルビウ地帯」が収載されている『椿實全作品』が、下の写真です。




次回は、豆本「メェゾン・ベルビウの猫」のご紹介です。


ではまた。