広瀬 武夫
「ひろせ たけお、旧字体:廣瀨武夫」
1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人、柔道家。
日露戦争でのエピソードで知られており、特に戦前は軍神として神格化された。
兄の勝比古も海軍軍人である。
日露戦争時の海軍軍人、当時のロシアは旅順に太平洋艦隊の基地を持っていた。
太平洋艦隊の兵力だけでは日本海軍には勝てないので、ロシアはバルト海にあったバルチック艦隊を太平洋に派遣した。
バルチック艦隊と太平洋艦隊が合流すれば日本海軍に勝ち目はなくなる、バルチック艦隊が来るまでに太平洋艦隊を撃滅することが日本海軍にとって重要な任務となった。
ところが、太平洋艦隊は旅順港から出てこなかった。
そこで、2つの作戦が考えられた。
1)陸から旅順を攻撃し艦隊を撃滅するという作戦であった。
これが、203高地の戦いで有名な旅順要塞攻略作戦であった。
2)旅順港から艦隊が出られないように、入り口を塞いでしまうという作戦であった。
この時の作戦を旅順港閉塞作戦という。
作戦は古い船を旅順港の入り口に沈めて、港の入り口を塞ぐというものであった。
当然,ロシア側も黙って見ているはずがない。
船が近づくとすさまじい勢いで反撃してくる。
船を沈めるための爆薬を仕掛け終わりボートで脱出しようとしたとき、広瀬中佐は部下の杉野兵曹長がいないことに気がついた。
彼は再び船内に戻ると「杉野はどこにいる」と船内を探すが見当たらない。
そのとき、ロシア側の砲弾が船に命中し広瀬中佐は戦死した。
彼は部下思いの軍人として、国民の間に広く語り継がれ「広瀬中佐」という歌も作られた。
【広瀬武夫記念館】
所在地 〒878-0013
大分県竹田市竹田2020
問合せ先 広瀬神社
TEL(0974)62-3074
アクセス・豊後竹田駅から徒歩で15分見学
所要時間 20分
管理者 広瀬神社バリアフリー
設備 盲導犬の受け入れ ○