出版についてのこれまでの動き(1) | 海外事業の助っ人 深川国際経営

海外事業の助っ人 深川国際経営

長年の海外経験で得たノウハウ・着眼点や多くのトラブル・失敗から学んだ教訓等を整理していきます。
下記の方々に訪問していただければ幸甚です。
(1)海外拠点の経営改善を切実にお考えの経営者
(2)海外駐在員
(3)海外拠点監査を担当されている方

昨日、編集者のHさんへ電話したら今週は出張で不在とのこと。
来週月曜日12日に出社予定とのことであった。
出版社の編集者は大変忙しい仕事のようだ。

出張先から今朝メールが届き、7日に提出した修正版の原稿に
ついてはコメント等を付したものを来週中に私宛メールするとのこと。

三井銀行時代に共著で「日本的M&A実践講座」という本を講談社
から出版したことがあるが、単独の執筆の本を出版するのは初めて
である。
途中からこのブログを読み始めた読者の為に、「海外での銀行
との付き合い方」の本の出版に向けてどのように進めてきたか
を時系列で整理してみる。

2013年8月末  (株)ジーエス・ユアサコーポレーション退職。
           退職時の肩書は「監査室担当部長」で海外
           拠点監査の主担当を3年半経験してきた。
           退職後半年は休養予定。
2013年10月10日 深川国際経営事務所のブログ立上
           最初の記事は、「コンサルタントの着眼」という
           テーマで、「現状否定 肥料メーカーの物流
           コストダウン」の記事を投稿。
2013年12月   長男にブログの内容をワードに落とす
           アルバイトを1ページ@300円で依頼。将来の
           講演資料、セミナー教材への活用の準備。
2014年2月7日  タナベ経営時代の先輩を訪問し、開業に
           ついて相談。
           先輩は、「営業開始前に本の出版」を助言。
           先輩自身も5~6冊既に出版され、なんと
           中には中国語に翻訳され中国で販売されて
           いるものあり、衝撃を受けた。
           但し、出版不況であり、商業ベースの出版は
           難しく、「中国本」や「ビジネス書、実務書」
           はなかなか売れない時代とのこと。
2014年2月7日夜 (株)ジーエス・ユアサコーポレーション
           監査室の宴会「来来来の会」に参加し、
           元同僚らに本の出版をするよう先輩から
           助言があったことを話す。
           その日の夜から、長男がワードに落として
           くれていた原稿の編集を開始。
2014年2月26日 出版社A社へ電話して売り込む。
           最初に電話に出た女性は、「自費出版ですか」
           と聞くので「いいえ、商業ベースの出版です」と
           答え、概要を説明した。
           男性の担当者に代り、概要を説明するも
           腰が引けた対応。
           「原稿が出来上がっているから原稿をご覧に
           なってご判断されては如何」
           と翌日14時のアポ取得。
2014年2月27日 A社を訪問。昨日と打って変わって担当者は
           前向きの姿勢に転じていた。
           私のホームページやブログで経歴や人となりを
           調べた上で、類書が今のところないという
           事実も確認していた。
           原稿を預かり社内で「企画会議」にかけたいという。
           いつ結果の連絡をもらえるかと問うと
           「3月中旬には連絡する」という。
2014年3月13日 A社から「見送り」の連絡あり。
           類書がないことは魅力的なるも本の内容が中国中心
           であり、時代の流れに合わないとの見送り理由
           (中国から撤退を考えている企業もある状況)。
           → 中国以外の国の内容も充実させることにした。
2014年3月13日 2社目の出版社として中央経済社へ売込み。
           電話に出た女性に概要を話すとNさんという男性に
           代わってくれた。
           本の概要を説明し、取り敢えずNさんのメール
           アドレスを聞いて、原稿と深川国際経営事務所
           の概要を送付。
           後でわかったのだがNさんは編集長であった。
           この時点の原稿は、本文だけでA4サイズの
           ワードで88頁
であった。
2014年4月2日  神田神保町の本社を訪問し、「経営編集部」の
           HさんとSさんに面談。
           原稿の内容等につき打ち合わせ4月10日の企画
           会議に付議される予定である旨うかがった。
           感触を尋ねると「良好」とのこと。
           A社の担当者も前向きだったのに企画会議の
           結果は「見送り」だったことが頭をよぎり、
           少し不安になった。
           不安な気持ちで福島に孫たちの顔を見に行った。
           温泉でも食欲不振。
2014年4月10日 編集のHさんからメールで「出版が正式に決まった」
           旨の連絡を受ける。
           夜、前祝。友人、知人、親兄弟従兄らにまでメール
           で出版が決まったことを連絡。しかし、
           それは産みの苦しみの始まりにすぎなかった。
2014年4月15日 編集者のHさんからA4サイズのワード4ページの
           修正要望が届く。
           それから眼精疲労の日々が続き、毎日ブルーベリー
           のパックを買ってきて食べる生活。
2014年5月7日  本文だけでA4サイズのワードで132頁の修正版
           原稿を出版社へメール。
2014年5月13日 出版社へ電話するもHさんは出張で不在。
2014年5月14日 編集のHさんより出張先からメールが届き、来週中に
           今回7日に送付した修正版原稿にコメント等付した
           ものをメールしてくれるとのこと。
           いよいよ追い込みである。
           最終原稿を提出してから出版まで4か月かかる
           とのこと。