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「あ~、丁度今やってるんだね~」

 

 15号館の大教室での授業の前のほんの1-2分にこんな会話をした記憶が在るのですが、しかし、確認してみたところ、1981年9月19日は土曜日。流石にまだ学校や大学では週休2日制を導入していない時代だったとは言え、土曜日の授業なんか取っていたでしょうかはてなマーク それともわたしたちがコンサートの日時を誤解していただけでしょうかはてなマーク

 

 今なら直ぐに確認することも出来ますが、スマホは疎か、インターネットも普及しておらず、pier to pierのパソコン通信さえも一般的ではなかった時代。リアルタイムで動画配信を利用することの出来る今から振り返ると、情報へのアクセスが困難な時代でした。

 そんな1981年9月19日にニューヨークのセントラルパークで開催されたサイモン&ガーファンクルのコンサートについて、9月2日に放送されたNHK‐G《アナザーストーリーズ 運命の分岐点》が採り上げていました。

 

 第1の視点はセントラルパークにフリーコンサートを定着させた伝説的コンサート・プロモーター、ロン・デルスナー

 

 まだ駆け出しだった頃、ストリートギャングがたむろするセントラルパークで屋外コンサートを開催していたロンは近隣住民からは良く思われていなかったとか。しかし、1973年、リトル・エヴァの《ロコモーション》やザ・ドリフターズの《アップ・オン・ザ・ルーフ》をヒットさせた作曲家キャロル・キングが自らピアノを弾いて歌ったアルバム《つづれおり》が世界的なヒットとなったため、彼女のファンや地元に対するお礼を籠めて地元ニューヨークでのフリーコンサートを企画。ロンに声が掛ります。

 キャロル・キングのフリーコンサートは約10万人のオーディエンスを集め、ロン・デルスナーも一躍有名プロモーターに。その5年後、新たにニューヨーク市公園局長に任命されたゴードン・デイビスが、セントラルパークとニューヨーク市の再建策を一環としてセントラルパークでのフリーコンサートを企画。ロンはジェームズ・テイラーとエルトン・ジョンのコンサートを開きますが、もっとニューヨークを代表するアーティストを呼びたいと考えたゴードンの脳裏に浮かんだのがS&Gでした。

 

 キャロル・キングと言い、ジェームズ・テイラーと言い、エルトン・ジョンと言い、70年代に育った者にとっては懐かしく親しい名まえです。しかし、遠く離れてから漸くはっきり解るようになったことも在るものです。第2次オイルショックの渦中に居乍ら、わたしはその影響を余り感じていませんでした。けれども、アメリカ国内のみならず、日本の地方公共団体でも財政再建の必要が認識され始めていました。

 

 ニューヨーク市の財政危機に伴って予算が削減され荒廃するセントラルパークを再生し、市民が愛着を持てるようにするため、コンサートを通じて寄付金を募ることを企画したロン・デルスナーとゴードン・デイビス。夕暮れ迫るセントラルパークには約50万人のオーディエンスが集まり、復活したS&Gをステージ上で紹介したのは当時の市長エド・コッチでした。

 当時の映像はDVDにもなりましたが、わたしが初めて視聴したのはNHK‐BSの《洋楽倶楽部》で放送されたデジタルリマスター版でした。

 第1次オイルショックの反省を踏まえて、イラン革命に端を発する第2次オイルショックの影響からいち早く脱出して工業生産性を高めた日本はその直後《日米自動車摩擦》を惹き起こします。日本車を叩き壊すパフォーマンスのショッキングな映像が日本でも放送され、日本は1985年のプラザ合意に進んで行くことになりました。

 

 思えば、その更に40年前、いち早く世界大恐慌を影響を脱した日本に比べて、フランクリン・ルーズヴェルトのニューディール政策の効果は限定的だったため、アメリカは日本経済を警戒し、ABCD包囲網の結成へと向って行きました。

 

 歴史は繰り返すと言いますが、時代の渦中で生活していたときは歴史の方向については判らないものですね。