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 朝の一仕事の後でメールボックスを確認すると、

 

「今週の知事定例記者会見は実施されません。」

 

というメールが届いていました。

「何故わざわざヤクルトー阪神戦の始球式にはてなマーク

 

と目が点になったニュースが在りましたが、国立競技場で開催される世界陸上と東京体育館で開催されるデフリンピックのPRの一環だったのですね。

 都知事負傷を伝える東京新聞《東京ニュース》に目を通していると、この記事の隣に配置された見出しが目に止りました。【築地市場の跡地から「天下の名園」の遺構が見つかった…すでに動き出している再開発 保存求める声は届くのか】という如何にも東京新聞らしい見出し。記事が「東京都による発掘調査で見つかった」と報じていたのは、「老中松平定信が下屋敷の庭園として築き、老中引退後の居所とした」江戸時代の庭園浴恩園のものと見られる石積みなどの遺構だとか。

 

 記事によると、「浴恩園の遺構は、2021年に始まった再開発に向けた試掘・予備調査で見つかった」とのこと。既に池の護岸とみられる石積みや、池を埋め立てたとみられる跡などが確認されており、2025年度以降に本調査を行う予定とのこと。しかし、記事は「今年4月に再開発事業予定者が決定。計画では、スタジアムのほか、ホテルや会議場などが整備される。浴恩園については触れられていない。」とも伝えています。

 

 浴恩園は定信が亡くなる直前(1829年)に発生した文政の大火で焼失。庭園跡は1923年の関東大震災で被災した日本橋魚河岸を収容するため、一旦更地にした上で築地市場を建設したそうです。

 

 浴恩園について、奈良市の市民団体《文化財保存全国協議会》が7月10日に保存を求める要望書を都と文化庁に提出。同月31日には《築地市場跡地再開発『浴恩園』を再生させる会》と共同で記者会見を行い、「江戸から明治、現代に至るまで多くの物語がある。跡地が再開発に利用されることは承服できない」と表明したとのこと。

 

 「江戸から明治、現代に至るまで多くの物語がある」のは全くそのとおりで、明治時代の軍事施設《築地海軍技術研究所》や築地居留地、昭和に入ると鉄道遺産としての東京市場駅など、その時々に応じた施設・設備の歴史が重層している筈。

 築地場外市場のHPを覗くと、明暦の大火以降の埋め立てから平成に至る迄の歴史を概観することが出来ます。

 したがって、築地市場跡地に浴恩園だけを復元することが必ずしも正しいとは言い切れない気がします。

 一方、同じく東京新聞Tokyo webが8月6日に採り上げていたのは江東区潮見に移築された澁澤榮一邸。【渋沢栄一の足跡巡る即完売ツアーに行ってみたビックリマーク 江東区の旧邸宅や石碑…参加できなくても楽しめる工夫も】という記事で紹介していたのは、清水建設(清水組)2代目当主清水喜助が設計して深川福住町に建築された澁澤榮一邸で、「2代目喜助のものづくりの精神が宿る建物を後世に残したい」と清水建設が買い取って3度目の移築を進めて来たのだそうです。

 

 尤も、家屋は移築することが出来ますが、石組みなどの遺物となるとなかなかそうは行きません。が、そうは言っても、一時期「其処に存在した」だけの施設を復元しても都市の歴史を保全したことにはなりません。

 

 何れにせよ、これだけ都内各地で市街地再開発事業が施行され、それに伴って埋蔵文化財調査が行われるようになれば、歴史的価値の在る何かが発見されるのは当り前。とすると、産業遺産か何か、テーマを決めて優先順位付けを行って行くしかないのでしょうかはてなマーク

 

 パリ2024開会式がセーヌ河畔を舞台として行われましたが、徳川昭武に随行した澁澤榮一がナポレオン3世の案内によって体験した改造間も無い新しいパリは、今もなお脈々と受け継がれています。開発と保存について議論するとき、議論の土台となる考え方が東京にも必要ではないかと感じました。

 

【8月13日付の追記】改めて浴恩園について調べてみると、今年1月に発行された東京都中央区の広報誌《区内の文化財》には次のように記載されていました。

「実は、この庭園(引用者注=旧浜離宮庭園)の北側(築地五丁目)にも、江戸時代(文政12〈1829〉に焼失あり)から関東大震災後(東京市中央卸売市場築地本場の建設工事に伴って埋め立て)まで、約1万7千坪余りの松平家屋敷内に作庭された池泉回遊式庭園が存在(明治期には海軍省構内に潮入りの2つの池などが現存)していました。かつての園地は、おおむね旧築地市場敷地の中央部から北西側に位置していたと推定され、現在は東京都指定の旧跡「浴恩園跡」(大正15年に史蹟指定、昭和30年に都条例改正により旧跡指定)となっています。」

 三井住友トラスト不動産の上掲サイトを確認したところ、海軍省の敷地中央に2つの池が残っていることが判りました。

©三井住友トラスト不動産

 8月12日付東京新聞Tokyo Webの記事も「すべての埋蔵文化財を残すことは難しい。」と認めている一方、長屋王邸宅跡に建設された奈良そごうが建設後10年余りで閉店したことを例に挙げて「再開発すべてを否定する気はないが、そのプロセスにはさらなる透明性を求めたい。」とも記していました。