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 東京の雨は幸い小降りでしたが、JR東海以西のJR各社管内では大雨による運転見合せが多発していました。滋賀県米原市伊吹では土砂崩れが発生していましたが、東海道線・東海道新幹線の線路からは1-2km離れていて運行に支障は無かったそうです。

 

 写真を見ましたが、花崗岩と思われる白っぽい石がごろごろと転がって来ていました。

 

 この日の朝。

 秋田犬保存会秋田犬会館ではほぼ毎年のように秋田犬のパピーの写真をツイートしているようですが、今年も生後4箇月のパピーの写真がポストされていたそうです。

 今回のポストを採り上げていたのは6月30日付のガジェット通信でしたが、昨年12月4日付のねとらぼも秋田犬会館の投稿を採り上げていました。

 何れも生後4箇月の秋田犬のパピー。パピーのうちは可愛いのですけどね・・・・・・。

 

 わたしの子どもの頃、生家のドーベルマンがご近所の秋田犬とワンプロの最中にスイッチが入って仕舞って歯止めが効かなくなり、止めようと間に入った亡父が両腕に何針も縫う怪我を負ったことが在ります。亡父は空地に転がっていた杭で秋田犬を殴り殺したのですが、その侭わたしの自転車を借りて病院に直行したものです。近くに新しく出来た病院が在ったので助かりました。

 

 ご近所の方が大切に育てていた真っ白な秋田犬でしたが、普段仲の良いワンコ同士のワンプロでも、怒りのスイッチが入れば飼い主にも止めようが在りません。幼い頃に亡父が秋田犬を組み伏せる様子を目の当りにしていますので、興奮して仕舞ったワンコの取り押さえ方は一応承知していますが、自分も怪我せず、相手のワンコにも怪我を負わすことなく取り押さえる自信は全く在りません。

 

 歳を取って犬付き合いが面倒になったそらわんわん も意外に気が強かったので、わたしもドッグランでは目を離しませんでした。大抵のワンコは飼い主の姿が見えなくなったりして不安が高まったりさえしなければ攻撃的にはなりませんが、怒りのスイッチが入らないように見守る必要が在ることは言う迄も在りません。

 

 この日の朝はもう1つ非常に興味深く判り易い記事下矢印をスマホで読みました。

 政令指定都市に引けを取らない94万人の人口を抱える東京都世田谷区には、副都心と呼ばれるようなターミナルも無く、抑々JRが走っていないびっくりビックリマーク そこで筆者は、《世田谷》という名まえを持つ東急世田谷線の世田谷駅に行ってみたとのこと。

 

 すると、ボロ市通りに「ひときわ目立つのが実に立派な木造の門」を発見。近付いてみたところ、世田谷代官屋敷の門だったとか。

 

 昨日訪ねた武蔵境は松江藩松平家の御用屋敷でしたが、世田谷区世田谷一帯は彦根藩井伊家の所領で、世田谷代官屋敷は彦根藩の代官屋敷だったそうです。記事は更に時代を遡って、足利将軍家の親戚に当る吉良家がこの地を治めていたことに触れ、井伊家の菩提寺豪徳寺に隣接する世田谷城も吉良家の居城で在ったことを説明。やがて世田谷城が後北條氏の勢力下に入ると、後北條氏第4代氏政公が大山道を整備し、世田谷城下に世田谷宿を設置し、楽市を開いたのだそうです。大山道の一部は現在のボロ市通りに当り、楽市もボロ市として現代に続いているのだとか。そして、後北條氏及び吉良家の没落以降、吉良家重臣だった大場家が井伊家に取り立てられて代々世田谷代官を務めていたのだそうです。

 

 このような沿革を改めて知ると、江戸の郊外だったことが非常に良く実感出来ます。記事によると、1907年に玉川電気鉄道が渋谷迄開通して多摩川の砂利を運搬するようになり、1925年に現在の世田谷線が下高井田線として開業。その7年後の1932年に漸く世田谷区が誕生しています。電車の開通と関東大震災による人口移動によって世田谷区の宅地化も進んだものの、世田谷駅周辺の宅地化が進むのは世田谷通りが開通した1964年の東京オリンピック以降だったと言うことです。

 

 筆者の鼠入昌史さんは世田谷区の歴史を振り返った後、

 

「世田谷の町は、こうした歴史を辿ってきた。だから、世田谷の町は古くからの世田谷の中心であったと同時に戦後に開発された新しい町という顔も持つ。」

 

と記し、

 

「世田谷区民にとって、文字通り世田谷線はなくてはならない足なのだろう。だから、90万都市世田谷を知るためには、膾炙している世田谷イメージとはややかけ離れた、小さな小さな世田谷線にまずは乗ってみるべきなのかもしれない。」

 

と纏めていました。

 

 鉄道に関する記事で在り乍ら、地域史を踏まえて地域交通の発展を記述していたので、署名を拝見する迄は枝久保達也さんの記事かと思いました。念のため筆者について調べてみたところ、枝久保さんとほぼ同い年。鼠入さんの署名記事を探してみると、2018年に当時の森昌文国土交通事務次官にインタビューした記事を文春オンラインが掲載していました。

 インタビューの中で森次官はNHK-Gの《ブラタモリ》について触れ、

 

「あの番組は街づくりの歴史をテーマにしているところもありますから、私たちの仕事に関わる部分も大きいんです。インフラの老朽化による作り直しなど、歴史に学ぶことも多々あります。歴史、地形、都市計画、こうした観点をタモリさん的に見せてくださるので、大変貴重な番組だと私どもは思っております。」

 

と話して下さっていました。

 

 日々レコメンドされる記事に目を通していると、さまざまなライターさんの個性も判って来て興味深く感じます。