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 「あ゛~、やっちまったガーンビックリマーク

 

と、見出しを見た瞬間に心の中で叫びました。

 銀行預金に限らず、自動車登録を差し押さえるときも、口座開設者や自動車所有者の住民票と滞納者の住民票をそれぞれ公用照会して、2通を照合して同一人物と確認しなければなりません。また、担当者が差押調書を作成して課長決裁を仰ぐ際は、同一人物であることが判るような資料の写を添付しなければ不十分ですよね。

 

 まだ税務に不案内だった頃、不十分な資料で誤った決裁をした経験はわたしにも在りますが、この後のお詫びは本当に大変です。

 さて、話は変りますが、最近、平安時代を連続して採り上げているNHK-G《歴史探偵》。NHK-BS《英雄たちの選択》でも《真説 藤原純友の乱》として藤原純友を採り上げていました。

 6月12日に放送された《歴史探偵 平安武士と蝦夷》では、郡司たちが俘囚を家人として抱えて弓馬の術を取り込み、王臣家の貴種を戴いて武士として発展して行くプロセスにスポットライトを当てていました。

 関白藤原時平の家人として滝口武士などを務めたものの、遂に無位無官の侭関東に戻った平将門もまた桓武天皇5世の孫という貴種でした。

 

 一方の藤原純友も父が時の権力者時平の従兄弟という身分。にも拘らず後ろ盾となる筈の父が早世したため、純友は地下の侭。一旦は伊予掾として瀬戸内海の海賊を説得し降伏させたものの、大宮人が評価したのは伊予守兼南海道追捕使だった紀淑人のみ。此処でもまた、純友ら土着化していた地方官人と国司(受領)との対立が顕在化し、東西で同時に《承平天慶の乱》として勃発することになりました。

 

 《歴史探偵 平安武士と蝦夷》では俘囚の弓馬の術に着目していましたが、藤原純友の軍事力を担ったのも海賊となっていた俘囚だったとのこと。俘囚は神話の時代から佐伯部という部民として西日本各地に移配されましたが、大雑把に纏めると、

 

▶群盗や海賊となった俘囚を追捕するために派遣された貴種の子孫が地方豪族となって俘囚を取り込む

▶承平天慶の乱では地方豪族たちが国司(受領)に反抗して自ら反乱を起こす

▶これを討伐する側に回った平貞盛や源経基の子孫が武家の棟梁となって地方豪族を取り込む

 

という過程を経て武士階級が成立して行ったようです。

 

 安倍氏・清原氏・奥州藤原氏など東北日本の俘囚集団に比べて、西日本に移配された俘囚がどういう役割をしていたのか今一つ知らずにいたのですが、兵力として地方官人に仕えたり、武力を使って群盗や海賊として暴れたりしていたのですね。

 

 我ら讃岐に移配された佐伯部は古代の地方豪族佐伯直(さへきのあたひ)の部民になりましたが、この佐伯直の中から平安時代のスーパースター佐伯真魚(さへきのまお)が生れています。

 真魚は大学寮で明経道を学んでから入唐迄の間に仏門に入り、空海を名乗ったとされていますが、その間、山野で修業を積んだと言われています。果たしてこの間に俘囚集団との交流が在ったのかも気になるところです。