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 何の拍子だったか思い出せないのですが、不図、国際プロレス中継の番組内でAWA世界ヘビー級選手権者のバーン・ガニアと鉄人ルー・テーズの試合を観たような記憶が蘇って来ました。

 

 しかし、調べてみたのですが、バーン・ガニアとルー・テーズが試合をしている動画も画像も出て来ません。その後バーン・ガニアに認められてAWAに呼ばれるビル・ロビンソンやマッドドッグ・バションよりも年上だったような気がしたのですが、記憶が混乱しているだけでしょうかはてなマーク

 

 バーン・ガニアがリングに戻ろうとしているところに相手の選手がガニアのタイツに手を掛けてリング下に引き摺り下ろそうとしたので、ガニアのお尻が丸見えになったことを覚えているのですが・・・・・・。あれは誰だったのか、ご存じの方はご教示ください。

 
 ところで。
 6月12日20時から放送されたNHK-Gのドキュメンタリー《あの日 偶然そこにいて》が1993年6月9日に行われた当時の皇太子殿下御成婚パレードに注目していました。
 
「芸能人の結婚なんて他人事だし、どうでもいいじゃない。でも、あのときは祝福一色・・・・・・」
 
と言っていたのを聞いて、わたしも31年前の今頃の季節を思いだしました。
 
 皇太子殿下にはあのような妃殿下こそ相応しいと両殿下の御決断に大いに賛同する一方で、キャリア外交官としての将来を或る意味放擲して皇室に入られた妃殿下の御選択に少なからず落胆したものでした。
 
 果たして両殿下が御公務を始められると、心情右翼と思しき姿の見えない匿名の国民からの人格批判・攻撃が表面化。男女雇用機会均等法施行以降、職場など身近に居る女性に向って言えなくなったような言葉を此処ぞとばかりに投げ付けるような言説を週刊誌などのメディアが拾い集めていたものです。
 
 当時はエゴサーチなんかしようも在りませんでしたから、メディアなんか目に触れないようにすれば良さそうなものですが、その後実際に妃殿下が長く不調に陥られたところをみると、何よりもそういう配慮をしなければならなかった筈の宮内庁東宮職が口さがなくバッシングをしていたのでしょうね。
 
 今年《虎に翼》を観乍ら「昔は酷い…」と驚く人々が少なくないようですが、今から思えばわたしたちの生きて来たこの31年間も十分酷かったと思います。ゲストのキムラ緑子さんが《寿退社》という言葉を同じくゲストのヒコロヒーに解説していましたが、ヒコロヒーには信じられなかったようで、「(寿退社おめでとうって)何がめでたいねんはてなマークと訝っていました。
 
 わたしの記憶を置き去りにした侭番組は進みましたが、最後のほうになって、キャリアウーマンだった妃殿下の皇室入りを残念がったり、落胆したりする声をやっと紹介。結婚のためにキャリアウーマンがキャリアを投げ捨てて仕事を辞めることによって周りがショックを受けることを当時《キャリチャラ・ショック》と言ったそうです。
 
 念のため、《キャリチャラ・ショック》で検索したみたのですが、採り上げているサイトに一向にヒットしません。辛うじてイミダスの時事用語辞典は
 
「せっかくのキャリアを『ちゃら』にして結婚するOLのこと。周囲は大ショック。」
 
「仕事一途の女性がキャリアをチャラにして結婚し、周囲に衝撃を与えること。小和田雅子さんのケースもこれか。」
 ファーストペンギンやその後に続く先輩たちからキャリチャラ・ショックを何度も受けているうちに、寅子のように気が付いてみれば女性が自分1人になったことにまたショックを受けたり、育児や疎開、最近ではコロナ禍などによって仕事や社会から遠退いているうちに社会を支えて来た他の女性に引け目を感じたり、《虎に翼》の展開と並行して戦前戦後の勤労環境を振り返ると、当時わざわざ見ようとしなかった勤労女性個々の《嫌な思い》に思い当るような気がして来ました。

 この日の東京新聞Tokyo Webは、前日6月12日に7歳の誕生日を迎えたシャンシャンが日本から詰めかけたファンの祝福を受けたことを報じていました。

 

 6月12日には400人を超える日本からのファンがシャンシャンに会いに来たそうで、「今回ツアーを企画した旅行会社によると、販売開始からわずか7分で完売する人気ぶり」だったとか。記事に掲載された写真を見る限り、今もなお上野に居た頃と同じように可愛いですね。