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 雨の多い5月。昨日は肌寒い朝になり、フィールドコートを引っ掛けて仕事に向いましたが、この日は晴れて最高気温も28℃という夏日になりました。

 

 5月20日付東京新聞Tokyo Web《ぷらっとTOKYO》が阿佐ヶ谷を紹介していました。

 この季節になると中杉通りのケヤキ並木が目に鮮やかですが、5月20日・・・・・・と言えば、この日に

 

「阿佐ヶ谷のうさぎやが閉店した叫びビックリマーク

 

という情報を他の方のブログで知ったばかり。存在は勿論存じて居りましたが、通り道ではなかったので終ぞ一度もお店に入ったことがございませんでした。今頃になって「うさぎ万頭・・・・・・汗と残念がって居ります。

 中央線あるあるプロジェクト実行委員会《なみじゃない、杉並ビックリマークに店主の瀬山妙子さんのインタビューが掲載されていました。瀬山さんによると、上野のうさぎやさんはおじいさまが始められたお店、日本橋のうさぎやさんは叔父さまが始められたお店だそうですが、お店を引き継いだ子どもたちも高齢になり、それぞれ忙しいので、余り交流が無いのだそうです。

©中央線あるあるプロジェクト実行委員会

 

 さて、東京新聞Tokyo Webの記事は阿佐ヶ谷を紹介する鉄板ネタ、パールセンター▶ジャズストリート▶七夕まつりをう紹介した後、「毎年8月に行われる『阿佐谷七夕まつり』にちなみ、童謡『たなばたさま』のジャズバージョンだ。」と阿佐ケ谷駅の発車メロディーに触れ、駅前から中杉通りを北へと進んで神明宮で一息。それから、横断歩道を渡って旧中杉通り(松山通り)の古書店を紹介していました。

 

「そう言えば、神明宮のバリ舞踊祭、まだやってんのかなぁはてなマーク

 

と思って検索すると、昨年で第22回だったそうです。

 わたしが塾講師だった頃の教え子の名まえが無いかと目を通してみたのですが、流石にもっと若い人に任せるようになったのかも知れません。それにしても、バリ島からの踊り手の公演も在り、凄いラインナップです。

 

 年に数回阿佐ヶ谷を訪れる程度になり、知らないお店のほうが多くなって仕舞いましたが、バリ舞踊祭は少しでも観に行ってみたくなりました。

 一方、5月16日付読売新聞オンライン《文人の武蔵野》で紹介していたのは、復員後に小金井市(北多摩郡小金井町)に居を構えた大岡昇平でした。

 

 知らなかったのですが、記事によると1946年3月9日に都会地転入抑制緊急措置令、1947年12月22日に都会地転入抑制法という法令が公布か施行かされたのだとか。記事からは公布・施行の何れか判然としませんが、「住宅難、雇用及び食料並びに災害に対処するため、『都会地』における人口集中を制限するための法令」だったそうで、小金井町がこれらの法令の適用外になったことから、大岡は嘗て高校生の頃に泊ったことの在る友人宅に転居することになったのだとか。記事によると、大岡は

 

「終戦後、東京都ではあの辺がまっ先に転入禁止を解かれたので、半年富永の家に厄介になっていたことがあります。鎌倉、神戸、フィリピンと十年以上東京を離れて転々としていたので、武蔵野の黒土がなつかしく、あたりをよく歩き回りました。」

「小金井といえば、大変な田舎で、武蔵野の真っただなかの感じでした。富永の家は深大寺から貫井、国分寺に至る段丘の中腹にあり、野川という小川の流域を見晴らし、冬は西方に雪をつけた丹沢山塊と富士山が、絵にかいたように見えました。」

 

と回想しているそうです。はけ・恋ヶ窪・多摩湖などを舞台にした《武蔵野夫人》が生れるのにはこのような経緯が在ったのですね、

 

 最近はぐったりすることが多くて、週末の出不精に拍車が掛っておりますが、のんびり何処かへ出掛けたいものです。