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 土曜日にお庭を覗いてみたところ、大きく育ったシャクヤクの花茎がお花の重さでぐにゃり。急いで玄関に戻り、ジュースの空き瓶を洗って水を入れ、鋏を持って外に出ました。

 玄関先に空き瓶を置き、お庭に戻って花茎を切り、空き瓶に活けて置きました。

 それから、お花の終ったハゴロモジャスミンの蔓が絡んだハナカイドウとキンモクセイを剪定し乍ら蔓を整理したら、40ℓのごみ袋2つ分にもなりました。

ジャスミンの蔓を片付けたら、ニオイバンマツリの梢にも日が当るようになり、良いにおいが漂うようになりました。

 枝を切り詰めるとお花が咲きませんが、お花が終ったら少し剪定しなければなりません。

 切り詰めたところから枝分かれさせたジューンベリーも、もう少し丈を詰めて置きたいところです。

 

 さて。

 《BS世界のドキュメンタリー》で放送された《スイスの象徴になった少女 〜“ハイジ”はこうして生まれた〜》(スイス/フランス/ドイツ2022年)を非常に興味深く視聴しました。

 

 今やスイスを象徴するブランドになったハイジ。番組冒頭ではハイジの名まえを冠したさまざまな商品が登場し、続いて日本からも多くの観光客が訪れるハイジの村(Heididorf)が紹介され、番組のエンディングではテーマパークHeidilandのバルコニーにハイジのマネキンが現れるところで幕を閉じます。
 
 発表と同時にベストセラーとなり、原作者の書いた2冊以外にもフランス語の続編が作られたり、主人公がブロンドの少女に変ったりとさまざまな改変が加えられ、戦争中におけるドイツとの経済的関係を問題視されたスイスのイメージ戦略に利用されて来たことに番組ディレクターのフギさんは強い違和感を抱いて、原作者のヨハンナさんの人物像を探って行きます。
 
 カメラは先ずハイジの物語の舞台とされるグラウビュンデン州マイエンフェルトを取材。驚いたことに、世界中からバスを連ねてやって来る多くの見学者を迎えて呉れるのは、村の名まえを書いた看板とズイヨー制作のアニメの場面(アルムおんじ、ペーター、ハイジ、ヨーゼフ)が大きく描かれたパネルでした。
 
 マイエンフェルトだけでなく、スイスで販売されているハイジのスーベニールの多くが、作画監督の小田部羊一さんが生み出したキャラクターに基づいていることに驚きを隠せませんでした。
 
 このドキュメンタリーでは、今から半世紀前に制作されたこのアニメがヨハンナ・シュピーリの原作に立ち返って新たな命を吹き込んだことを重視して、小田部さん、高畑勲監督の未亡人、プロデューサー、カメラマンなど、半世紀前にロケハンにマイエンフェルトを訪れたアニメ制作者を再び同地に招いてインタビューしていました。番組ディレクターのフギさんも恐らく高畑勲監督によるこのアニメを観て育ったのでしょう。
 
 ハイジの原作者ヨハンナ・シュピーリは1827(文政10年)に生れ1901(明治34)年に亡くなっています。多忙で著名な両親に構われることの少なかったヨハンナさんはアルプスの自然や父親が院長を務める病院に集まる貧しい人々の中で過ごしますが、チューリヒのブルジョワ家庭での結婚生活で心身のバランスを崩して行きます。
 
 やがて、29歳の若さで結核によって一人息子を失い、夫も他界。ヨハンナさんは50代にして児童文学の中に自然に囲まれて過ごした自身の子ども時代を理想化して描いて行きます。
 
 番組では身寄りを亡くしたハイジの姿を通じて、当時の孤児たちが人身売買同然に奉公に出され酷使されていたことからヨハンナさんが目を背けなかったことを指摘していました。
 
 高橋勲監督のハイジを毎週熱心に観ていた訳でも、ヨハンナさんによる原作を読み通した訳でもないので、クララとハイジが単なる友人同士としか理解していなかったのですが、そんな単純な関係ではなかったのですね。
 
 ヨハンナさんが19世紀の女性をどのように描いたか、考察はこれからも続けることにします。
 話は変って、土曜日の朝はチヨコちゃんとこくらげ宇宙人夫人と近所の公園にお散歩に行きました。
 多摩湖自転車道沿いの畑の中に出来た取付け道路から向台町中央通りに出てからタコ公園へ。畑の中には藍のような蓼のような植物が点在していました。
 なかなか進まないチヨコちゃんでしたが、小一時間お散歩をして戻りました。
 お家に戻って暫くのこと、外来種の寄生バエによって絶滅危機に瀕しているミノムシを見付けました目ビックリマーク

 羽化ではないようですので、脱皮しようとしていたのでしょうかはてなマーク 今となっては大変珍しいので、動画に記録してみました。