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 風の冷たい天皇誕生日。月曜日の夏日は何だったのかと思う雨の1日でした。

 録画して置いた《“百万本のバラ”はどこから そして どこへ~加藤登紀子 ジョージアへの旅~》を漸く観ることが出来ました。

 

 引揚者=避難民だったことを加藤さんが原点としていることは2月12日に放送されたラジオ深夜便4時台《明日へのことば》の中でもお話になっていましたが、この番組の中でも、遼寧省葫蘆島から引き上げる満蒙開拓団を描いた中国人の歴史画家王希奇さんの大作《1946》を観に行かれていました。

 2022年8月25日付朝日新聞デジタルは、神戸で公開された王希奇さんがこの絵を描いた経緯について、

 

「そこから2年ほど、関連資料を調べる日々が続いた。葫蘆島にも足を運んで史実への理解を深め、約3年かけて描きあげた。あの少女は、絵の中央に据えた。老人を背負って歩く男性や、負傷者を担架で運ぶ看護師の姿もある。」

 

と紹介しています。

 

 《百万本のバラ》は1981(昭和56)年にバルト3国のラトビアで生れた子守歌だそうですが、ロシアの詩人アンドレイ・ヴォズネセーンスキーがジョージアの素朴派画家ニコ・ピロスマニの伝説を下敷きにロシア語の詞を書き、翌年、ロシア人歌手アーラ・プガチョワによって世界的に有名になりました。

 

 番組では加藤さんに歌手になることを勧められたウクライナ人歌手とのジョイントコンサート風景も採り上げていましたが、2年前の2月にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、彼女はロシア語の歌を歌えなくなったとのこと。コンサートでも加藤さんと《百万本のバラ》を歌う代りに日本語で《ふるさと》を歌っていました。

 

 加藤さんはツアーを行うためジョージアに向いました。高さ5,000m級の峰々が立ちはだかるトビリシやニコ・ピロスマニの生れたミルザーニを訪ねていましたが、映像に映し出されたどの街も美しく、思わず見入って仕舞いました。

 

 加藤さんは国立美術館でピロスマニの膨大なコレクションを目の当たりにしたほか、街の中で子どもたちが壁にピロスマニの作品を描くプロジェクトにも遭遇。画面を通してピロスマニに国民に如何に愛されているか伝わって来ました。

 

 しかし、ジョージアで日本語を学ぶ学生の合唱団とのジョイントコンサートで、ピロスマニのロマンスを描いた《百万本のバラ》を歌うことを提案したところ、矢張り学生たちが拒否。結局、加藤さんは一部ロシア語の歌詞を交え乍ら、日本語で《百万本のバラ》を歌うことになりました。客席はこの歌に対して手拍子をして呉れましたが、ロシア語の歌詞のパートでは歓声は上がらなかったようです。

 

 それにしても、加藤さんがこの歌の日本語詞を書くに当って、作曲者のライモンズ・パウルスやラトビア語詞を書いたレオンス・ブリアディスにも会い、またピロスマニのロマンスをロシア語で書いたヴォズネセーンスキーにも直接会っていたことに驚きました。共産党による一党独裁体制を批判し続けたヴォズネセーンスキーですが、ラトビアの楽曲にジョージアの物語をロシア語で書くことによって、多様な民族が入り混じるソビエト連邦の多様性を肯定していたことは良く判りました。

 ヴォズネセーンスキーがモスクワを離れてトビリシに滞在していたとき、ピロスマニが女優マルガリータの宿泊先の周りを大量の花で埋めたことはジョージア国内では伝説として人口に膾炙していたようです。番組内で加藤さんはピロスマニが「極貧のうちに野垂れ死んだ」と表現していましたが、その理由として全ての財産を売り払って女優に花を贈ったという理屈付けは広く国民に理解されたのでしょう。

 

 仮令それが史実ではないにせよ、《あなた》に向う表現としての《百万本のバラ》を想像すると、ライモンズ・パウルスの物悲しいメロディと相俟って、わたしはいつも声が詰って仕舞います。

 

 恋愛は発情にほかなりませんが、抱き合っているのに互いに自分の快感の最適化を図っていることに気付いて虚しくなったことはないでしょうかはてなマーク

 

 自分の感覚を深堀りして閉じ籠もる一方で、感覚を共有し、共感したくも在る。けれども、共感には限度が在るので、わたしたちは所詮、自分の殻に合せて掘った穴から互いの気配を伺い知って付き合っているに過ぎません。


 それはそうなのですが、不可能性に囲繞され続けて、「あなたと一瞬を共有したい」「あなたを見ていたい」という感情が発情から分離し、蒸留されると表現が生れます。誰かの表現に未分別の感情が刺激を受けて蒸留されることも在るでしょう。《百万本のバラ》を聴く度に、わたしは《あなた》に向う気持ちが刺激されるような気がします。喉がつかえて歌えなくなります。

 

 破滅的な表現としか言い様が在りませんが、こんなふうに《あなた》に向う気持ちを全力で表現したい、しなければならないという衝動を刺激されるからでしょうかはてなマーク