2月20日(火)の日中の気温は20℃を超える程。夜もその侭の暖かさが続きましたが、翌水曜日の最低気温は9℃、最高気温も9℃という小雨の1日になりました。
この日の早朝、2月20日(火)深夜に放送されたNHK-G《運転席からの風景 JR武蔵野線》を府中本町から武蔵浦和迄観ました。
番組情報が少なく、シリーズものなのか単発のフィラーなのか良く判らないにも拘らず1時27分から60分間の長尺。NHK首都圏局のアカウント《NHK@首都圏》が旧ツイッターに次のような投稿をしていました。
【JR武蔵野線】
— NHK@首都圏 (@nhk_shutoken) February 18, 2024
「運転席からの風景 JR武蔵野線」
20(火)午前1時27分
(※きょう深夜)総合テレビで
放送とのことです
それに先立ち…ではありませんが
去年制作・放送した
鉄道あの頃#22
「武蔵野線いまむかし」を再投稿します
沿線風景は様変わりしました
どうぞお楽しみください#shutoken_video pic.twitter.com/hJUlOPJUmO
また、NHKの鉄道関連番組のアカウント《NHK鉄道研究会》も次のように投稿していました。
武蔵野線の運転席からの映像を見るだけなのに、武蔵野線の歴史をも知っていただこうという…。
— NHK鉄道研究会 (@nhk_railway) February 19, 2024
鉄な皆様、武蔵野線沿線の皆様、および接続各線をご利用の皆様、よかったら @nhk_shutoken 発の動画をご覧ください。
改めて、きょう深夜1:27からの総合テレビ「運転席からの風景 JR #武蔵野線 」です。 https://t.co/LidbLfAhTy
タイトルどおりの運転席からの風景だけでなく、1973年開業時のフィルム映像、1978年西船橋延伸時のフィルム映像のほか、貨物列車のバイパス機能に着目した映像や走行する編成の空撮映像など、なかなか盛り沢山な濃い内容でした。
貨物専用機関車《桃太郎》に牽引されて駅を通過する日本石油輸送株式会社所属のタキ1000型の姿もしっかり記録していましたが、海岸部に存在する製油所からどのようなルートを通過して内陸に在る日本オイルターミナルの営業所に向うのか気になりました。
視聴を途中で中断して録画を消去されて仕舞う危険性と裏腹なので、せめてレイクタウン駅迄は観て置けば良かったと少し後悔。NHK+のご当地プラスで探してみたいと思いました。
ところで、昨日スマホで目にした衝撃のニュース 何と2月20日付沖縄タイムス迄もが報じていたのでびっくりしました。
秋葉原駅近くの《肉の万世秋葉原本店》が3月31日を以て完全閉店
ヤフコメに目を通してみたところ、2021年3月に秋葉原本店ビルは日鉄興和不動産に売却されていたのですね。
近所に小金井店が在るには在るのですが、ロードサイド店ではパーコー麺は食べられません もう何年も脚を運ばずに居る間にパーコー麺とは長のお別れになって仕舞いました。このニュースが知れ渡ると、パーコー麺を思い出したお客が既に行列を作っていることでしょうね。
同じく東京23区の話題として、2月21日付読売新聞オンラインは高村光太郎のアトリエの保存運動を報じていました。
戦時中花巻に疎開していた高村光太郎が中野区のアトリエに住んだのは1952(昭和27)年から1956年に亡くなる迄の約4年間だったとのこと。元々は水彩画で有名な中西利雄が発注し、建築家の山口文象が設計したのだそうですが、完成したのは中西先生の没後。その後は貸しアトリエとして使われていたそうです。
残されたアトリエを管理していた中西利雄のご子息が今年1月にお亡くなりになり、故人と親交があった日本詩人クラブ理事の曽我貢誠さんが保存を企画。記事によると、曽我さんは「村や中西の芸術や歴史を後世に残すためにも、アトリエは非常に価値があるものだ。中西家に負担をかけずに、なんとか保存できるやり方を考えていきたい。」と考え、区・都への働き掛けと併せてクラウドファンディングも検討しているとのこと。
戦災で焼失した元の住居とアトリエは文京区千駄木に在ったそうですが、《高村光太郎連翹忌実行委員会のblog》がアトリエ内部の写真を掲載していました。
調べてみたところ、中野三丁目の桃園川緑道の畔に在るそうで、十和田湖畔の乙女の像もこのアトリエで制作したのだそうです。どちらかと言うと東高円寺に近い区界のようですね。
中野区にはさまざまな《所縁の地》が残っているので、いろいろと歩いて見て回りたくも思うのですが、余程入念に計画しないと回り切れないかも知れませんね。