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 こくらげ宇宙人姉妹2号とドラマを観ていると、「これは〇〇の伏線かな~はてなマークとか「放送期間の関係で展開を早くしたのかな~はてなマークとか、こちらが適当にスルーしたシーンを的確に指摘するので屡々驚きます。2号の観察が鋭いのか、齢を取ったわたしの集中力が衰えたのか、はたまたその両方なのでしょうかはてなマーク

 

 わたしの子どもの頃は「最早戦後ではない」高度成長時代でしたが、まだまだ終戦後の記憶の生々しい時代でしたから、2号と一緒に《ブギウギ》を観ていると、うっかりネタバレを話して仕舞い、2号に叱られます。

 

 1948(昭和23)年になると、黒澤明監督作品《酔いどれ天使》が制作され、笠置シヅ子さんのフルコーラスシーンが挿入されることはこのブログにも書きましたが、そろそろ羽鳥先生が《ジャングル・ブギー》を書くのではないかな~、黒澤監督も登場するのかな~、と思っているところです。

 

 ニュース検索をしてみたところ、良い評論が目に止りました。

 昨年8月にNHK出版新書から出版された大阪大学大学院人文学研究科教授輪島裕介さんの著書《昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲》を元に笠置シヅ子・服部良一コンビの意義を振り返る内容。評論の中で、2人を産んだ当時の《大大阪》の文化的土壌について

 

「一方、大阪では、お手本に忠実であるよりは、どれだけ自分たちにとって楽しいか、面白いかが重視されました。知識人や官僚よりも、富裕な商人たちが(文化を)主導したこともあり、新奇なもの、ハイカラなものと地元の芸能を、娯楽本位で“ゴタ混ぜ”にして受容する土壌があり、“正統性”にあまりこだわらない気風が強かったのです。」

 

という記述が在りますが、このことは大大阪時代の大阪モダン文化を振り返る上で非常に重要な基本認識だと思います。本格的なビッグバンドをバックに二村定一が歌う《浪花小唄》もフランス帰りの小出楢重の洋画も《ゴタ混ぜ》の土壌を感じさせるに十分ですし、凱旋門風の建築物の上にエッフェル塔風の鉄塔を載せた初代通天閣なんて正しく《ゴタ混ぜ》だったでしょう。

 

 更に、関東大震災を機に東京の芸能人が大阪に到来する一方、大阪の興行主の東京進出が進んだことにも着目。

 

「震災後の復興の過程で、松竹、東宝、吉本興業が東京に進出したことで、大阪の和洋折衷の娯楽的上演文化が東京でも受容され、さらに映画を通じて全国に波及していきました。主にレヴューの舞台で活躍した笠置・服部の全国的な成功の背景には、大阪文化・資本の“東漸(とうぜん)”があったのです」

 

と記していました。2023年度下半期の朝ドラ《ブギウギ》が優れているのは、このような《大阪文化・資本の東漸》を東京での松竹歌劇団の旗揚げや東京吉本の坂口さんや山下さんを通じてしっかり描いていることでしょう。

 

 笠置シヅ子さんや服部良一先生を知らない世代にとって、《昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲》は学ぶところの多い著作と言えるでしょう。

 

 ところで・・・・・・。

 まだ阿佐ヶ谷に居住していた頃、こくらげ宇宙人姉妹1号の自転車の練習場所に難渋したことが在ります。杉並区内の公園は多いのですが、阿佐ヶ谷駅周辺だけは小さなポケットパークは在るものの、安心して転んだり出来る場所が近くに無いように感じていました。

 

 当時、義母の病気が重篤だったことも在って、同居を前提に《武蔵野コッツウォルズエリア》に転居したのですが、広大な東京都立小金井公園至近だったために、ムスメたちは随分小金井公園を利用したものです。住宅街の中の公園は、どうしても周辺にお住いの方々に気を使って声を出すことも憚られる場合も少なく在りませんので、広大な公園の存在は誠に有難く感じました。

 

 2月15日付読売新聞オンラインは、身近な公園を市民の交流拠点にするためにあきる野市が開始した《居場所づくり事業》を採り上げていました。

 記事によると、市は「平日は仕事や通学、休日は買い物やレジャーのために、市外に出かける市民が多いため、「公園で目立つのは高齢者や子ども、子育て中の母親で、利用が少ない世代もあることから、幅広い交流や憩いの場になっていない」と認識しているとのこと。このため、市は3年掛りで《居場所づくり事業》をスタート。市民・団体・事業者に「公園でやってみたいこと」をアンケートしたりして、自主的な取組や利用促進を図って行くようです。

 

 2月12日付の同じく読売新聞オンラインは、荒川区立あらかわ遊園に着目。

 元々煉瓦工場だった場所に工場所有者が遊園地を開設したのは1922(大正12)年。一時は《城北の名園》と呼ばれたそうですが、昭和恐慌や大東亜戦争の影響で1941(昭和16年)に閉園。戦時中は高射砲陣地が置かれたそうですが、区民の愛着は強く、戦後は子どもの遊び場を求める声が高まったため、1950(昭和25)年に区立公園として開園したそうです。

 

 早稲田や大塚から都電に乗ってあらかわ遊園に出掛けたのは、こくらげ宇宙人姉妹1号がまだ幼稚園児の頃。さまざまな遊具に辿り着く前にバッテリカーに次々に乗って行く1号のために両替した小銭をじゃらじゃら言わせ乍らバッテリーカーを追い掛けたものです。園内を走る汽車にも何度も乗り、動物たちとも触れ合いました。

 

 2018年からの大改修以降はとんと足が遠のきましたが、記事によると、「同園の集客力を地域経済に生かすため、入園券やフリーパスを区内の協力店舗で提示すると、割引などを受けることができる『チケ得サービス』という取り組みを行っている」とのこと。公園の近くのもんじゃ屋さんでも使えるのでしょうかはてなマーク

 公園と言えば、千葉市動物公園の園内を周遊する自動運転モービルの実証実験が去年秋から今年3月迄行われているそうです。

 

 記事によると、乗り物は「搭載するセンサーで人や障害物を検知して自動で止まったり、周辺環境を認識して安全なコースを選んだりしながら走行」する1人乗りとのことで、「キリンやシマウマなどを見ながら録音の解説を聞いて生態などを学ぶこと」も出来るそうです。

 

 動物公園ですので、園内を走り回る自転車を気にする必要も無いでしょうし、一般的な公園と比較すると導入前にクリアしなければならない課題は少ないかも知れませんね。

 

 昨日は関東平野に春一番が吹きました。夜は暫く大人しくなっていましたが、早朝からまた強風。JR常磐線が一時運転を見合せていました