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 昨日、早朝に朝食の準備し乍らいつの間にか《雪の進軍》 を口遊んでいました。

 

♪雪の進軍氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず

♪馬は斃れる捨ててもおけず ここは何処ぞ皆敵の国

♪ままよ大胆一服やれば 頼み少なや煙草が二本

 Wikipedia《雪の進軍》の項目を確認したところ、大山巌大将麾下第二軍司令部付軍楽隊軍楽次長として日清戦争に従軍した永井建子(ながい・けんし、1865-1940)の作詞作曲で、北洋艦隊の旗艦《定遠》を大破した威海衛の戦いを描いたものだとか。同じくWikipedia《威海衛の戦い》には

 

「当時の日本軍は雪中戦において、しっかりした冬季装備と厳寒地での正しい防寒方法を持っていなかった上に、兵士は履きなれた草履を使用することが多く、民間人の軍夫は軍靴を支給されなかった。そのため、山東半島でも凍傷が多発した。」

「物資の輸送は、民間人の軍夫と徴用された清国人がひく徒歩車輌(大八車)で行われた。起伏のある未整備の道での輸送は苦労が多く、ときに7人で大八車を動かすこともあった。その上、弾薬輸送が優先されたため、前線で食糧と燃料が不足した。しかも威海衛は、水不足で炊飯にも苦しんだ。

「この戦いに軍楽隊員として参加していた永井建子は、当時の体験を元に軍歌『雪の進軍』を発表した。」

 

と記述していました。成程、台湾出兵以外に外地での戦闘未経験ですから、日清戦争時の装備や輜重は相当酷かったのでしょうね。にも拘らず、明るいメロディーラインが特徴的。Wikipedia《雪の進軍》は、大山巌大将も愛吟し、臨終の枕元でもレコードを掛けさせたと記しています。2-4番は次のとおり。

 

♪焼かぬ乾魚に半煮え飯に なまじ生命のあるそのうちは

♪こらえ切れない寒さの焚火 煙いはずだよ生木が燻る

♪渋い顔して功名噺 「すい」というのは梅干一つ

 

♪着の身着のまま気楽な臥所 背囊枕に外套かぶりゃ

♪背の温みで雪解けかかる 夜具の黍殻しっぽり濡れて

♪結びかねたる露営の夢を 月は冷たく顔覗き込む

 

♪命捧げて出てきた身ゆえ 死ぬる覚悟で吶喊すれど

♪武運拙く討死にせねば 義理にからめた恤兵真綿

♪そろりそろりと頸締めかかる どうせ生かして還さぬ積り

 

 戦後は文部省検定済の唱歌として学校でも歌われたということですが、戦場での兵士の不満を大胆に歌った歌詞が兵士や生徒に広く受け入れられていた時代はまだまだ鷹揚だったのですね。尤も、大東亜戦争中は表向きには歌唱禁止とされたそうです。

 

 話は変りますが・・・・・・。

 1月30日付共同通信配信のニュース。

 2023年の東京都の転入超過は68,285人(前年比80%増)。

 同日付日本経済新聞によると、首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)全体では転入超過が126,515人。逆に、名古屋圏(愛知県、岐阜県、三重県)は18,321人の転出超過、大阪圏(大阪府、兵庫県、京都府、奈良県)は559人の転出超過とのこと。

 

 都道府県別に見ると転入超過は7都府県で、他の40道府県が全て転出超過だったそうです。

 

 加速する首都圏一極集中の現状を追認する訳では在りませんが、日本経済の国際競争力を維持して行く上では機能集約は避けられません。さればと言って、災害の多い日本に於いて政治・経済・商業機能の一極集中は望ましいばかりでは在りません。

 

 したがって、北海道・東北・中部・近畿・中国・四国・九州の各地方の大都市圏の機能と魅力をより一層向上させ、首都圏と機能分担することが重要です。福岡市・札幌市はその役割を果たしつつあり、大阪市も転入超過が続いていますが、それ以外の地方では人口の受け皿となる大都市圏がまだまだ育っていないようです。

 

 それはそうと・・・・・・。

 久し振りにデコピンのニュースを見ました。

 

 1月28日に催された夕食会に大谷選手とともに出席したデコピンが《浮かない表情をしていた》と話題になっているそうです。

 

 FNNプライムオンラインによると、「不安がそのまま顔に出てしまったデコピンだが、夕食会に出席するためロサンゼルスからニューヨークまで移動するプライベートジェットでは、スヤスヤと眠るかわいい姿も見せていた」とのこと。

 

 知らない人ばかりの夕食会に出席するのは人間でも嫌なものですから、デコピンには辛かったのでしょうね。うちのチヨコちゃんなら飼い主を見上げて「早く帰ろうよビックリマーク」って一生懸命訴えるのでしょうね。